韋駄天像(群馬県指定重要文化財)修復開眼法要について

令和七年、群馬県指定重要文化財である宝林寺の「韋駄天像」が、約二年にわたる修復を経て、三百有余年の時を超えて往時の威厳ある姿を取り戻しました。
この像は、江戸初期の延宝五年(1677年)、五代将軍・徳川綱吉公が館林藩主であった時代に開創された萬徳山廣済寺の仏像群の一尊として誕生し、後に潮音道海禅師との縁により宝林寺に請来されました。お釈迦様の遺骨(仏舎利)を捷疾鬼から取り返したという伝説から、俊足の護法神として知られる韋駄天。その像は、永きにわたり宝林寺の本堂を静かに見守ってきました。
しかし、長い歳月の中で両腕や宝杵、台座は失われ、その御姿は大きく損なわれていました。今回の修復では、内部構造や彩色層の科学的な調査により、当時の高度な造像技術が明らかに。造像時の手本とされた、四代将軍・徳川家綱公が開創した大本山萬福寺の韋駄天像を参考に再現が進められ、失われた部分が丁寧に補われました。
蘇った韋駄天像は、合掌した腕に宝杵を横たえる「静」の姿をとり、仏法を守護する安らぎと気高い緊張感を湛えています。鮮やかな彩色は黄檗宗特有の異国的な造形美を際立たせ、これほど大きな黄檗様式の韋駄天像は国内でも大変稀有であり、江戸期の国際的な文化交流を物語る極めて貴重な存在です。この度の修復は、単に形を復元するだけでなく、幾多の災禍を乗り越えてきた宝林寺の歴史と、そこに宿る人々の祈りの記憶を未来へと繋ぐ営みです。凛として立つその御姿は、黄檗文化の美と精神を現代に伝え、未来を照らす確かな光となることでしょう。
日時:令和7年11月8日(土)13時半〜
場所:眞福山宝林寺本堂
対象:宝林寺檀信徒及び寄附者、関係者
住所:群馬県邑楽郡千代田町新福寺705
韋駄天像修復前後

吉備文化財修復所撮影

吉備文化財修復所撮影
スケジュール
| 13:00 | 開場 | |
| 13:30 | 修復開眼法要 | 成城大学 岩佐光晴教授挨拶 |
| 吉備文化財修復所 牧野隆夫代表 修復報告 | ||
| 記念品贈呈 | ||
| 住職挨拶 | ||
| 15:30 | 終了予定 | |
※一般参列は本堂前テントでの観覧となります。
本堂内は寄附者及び関係者のみとなりますので、あらかじめご了承ください。
この輝かしい韋駄天像の復活は、永い物語の新たな一歩に過ぎません。その傍らには、華光菩薩像、緊那羅王菩薩像、達磨大師像、弥勒菩薩像といった、同じく修復の時を静かに待つ仲間たちがいます。三百有余年の時を超えて受け継がれてきたこの尊い祈りの文化を、次の世代、そしてさらにその先の未来へと手渡していくために。この歴史的な旅路を、皆様の温かいお心で照らし、支えていただけますなら、これに勝る喜びはございません。
群馬県指定重要文化財について
令和4年3月18日指定
寳林寺に伝わる八躯からなる本彫像群は、釈迦如来像を除き、かつて館林市朝日町に所在した黄檗宗寺院、廣済寺の創建時に造像されたものと考えられる。廣済寺は江戸幕府五代将軍徳川綱吉が館林藩主であった寛文九年(1669)に、当時寳林寺住職潮音道海禅師のために檀越となって創建された。天和三年(1683)に館林城が廃城になるとともに、廣済寺も廃寺となり、寳林寺へその什宝が移され、今日まで伝えられている。
中国から渡来した隠元隆琦禅師を宗祖とする黄檗宗寺院で盛んに造られた像容を示し、釈迦如来像を除く七躯が運慶の流れを汲む京都七条仏所の正系仏師である二十六代康祐の作と考えられ、釈迦如来像は康祐の三男である康倫の作である。その多くが、黄檗宗大本山萬福寺の諸像を規範として造られている。
韋駄天とは
韋駄天は、仏教の守護神で、特に足の速いことで知られています。お釈迦様が亡くなった際に、その遺骨である「仏舎利」を盗んだ鬼を、驚異的な速さで追いかけて取り返したという伝説があります。この逸話から、盗難除けの神様や、困難に陥った人々を一瞬で駆けつけて救ってくれる神様として信仰されています。また、「御馳走」という言葉の語源になったとも言われています。
萬徳山広済寺について
館林市にあった萬徳山広済寺は、江戸時代前期に存在した黄檗宗の寺院で、関東における黄檗宗最大の道場でした。京都宇治市にある大本山萬福寺を模して造られましたが、今日影を残すことなく、幻の大寺院とされています。
創建と歴史
- 開基: 館林藩主徳川綱吉公
- 開創:寛文9年(1669年)
- 開山: 潮音道海禅師
- 場所: 館林城下の北端、現在の館林市朝日町(旧・広済町)
綱吉の一人息子である徳松が亡くなった後、天和3年(1683年)に館林城は廃城を命ぜられました。これに伴い、広済寺も廃寺となりました。創建からわずか14年後のことでした。廃寺となった際、本尊の釈迦如来坐像や韋駄天像などの仏像や什宝は、潮音道海禅師の元いた寺院である群馬県千代田町にある眞福山寳林寺に移されました。これらの仏像群は、黄檗宗初期の様相を示す貴重なものとして、群馬県の重要文化財に指定されています。広済寺は廃寺となりましたが、その跡地は「広済町」という地名として残り、現在は朝日町の一部となっています。




