[潮音禅師物語]vol.8 隠元禅師に参ず
潮音禅師は長崎に着いても、すでに興福寺の隠元禅師に参禅が許されたわけではありませんでした。隠元禅師は日本に来ても鎖国中のことですから、幕府の面倒な手続きに手間取り、しばらくは一般日本人との接触や、日本人に説法することは許されませんでした。
そこで、中国から来ていた道者禅師(道者超元)の崇福寺に入って時期を待ったのです。
やがて、その年の冬になって、興福寺の開堂結制が許され、参禅することもできるようになると、早速隠元禅師に相見し、結制に加わり修行をしました。
結制が解除のとき、潮音禅師はみずから看得した見解を、
頓に此の心を了じ物我を空せば
大千刹界一如に同じ
人有って若し個の中の意を問わば
日は落ちる高楼玉笛の風
と、漢詩をたくして呈示しましたが、隠元禅師は「まだ不十分。」と、認められませんでした。
出典:潮音道海禅師の生涯
発行者:潮音道海禅師三百年遠忌大法会実行委員会