[木庵禅師物語]vol.14 長崎の二甘露門
木庵禅師と即非和尚とは殊に仲が良く、お互いに詩偈を作りあったり、舟で沖に出て語りあったり、福済寺と崇福寺を相互いに訪ねあったりされたました。
また、お2人で盛んに禅の教化に励んでおられましたので、長崎の人たちは二人を仏教会の二甘露門と呼んで崇めていました。甘露というのは、人々の苦悩を去り、長寿を保ち、死者を復活させるという、そういった甘露の法を人々に説かれる方だと信じ仰いでいたからです。
秋になりますと、鐵牛和尚が隠元老和尚の書と竜渓和尚の手紙を持参して、木庵禅師に普門寺へ登るように伝えられました。木庵禅師は辞衆上堂(住持を退いて弟子たちと分かれるにあたっての最後の説法)を行って長崎を発たれました。小倉では、藩主の小笠原公がわざわざお迎えに出られました。
出典:木庵禅師物語
発行:昭和57年10月