関係寺院

 潮音道海禅師によって中興された宝林寺は当時、隆盛を極めていたと伝えられます。その当時、宝林寺には9~10の末寺(兼務等含む)がありましたが、幕末・明治の神仏分離令、廃仏毀釈、上知令、戦後の農地開放等の動乱によって無住・無縁となり、そのほとんどが廃寺、合寺となってしまいました。存続するお堂、墓地は近隣寺院や住民によって管理されています。詳細をご存知の方は、お問い合わせよりご一報いただけると幸いです。

関係寺院

寳山智光庵

  • 〒360-0005 埼玉県熊谷市今井228-1
  • 智光庵の由緒は資料等がなく、現在に伝えられていませんが、宝林寺中興開山である潮音道海禅師が、荒廃していた智光庵の復興に力を注ぎ、宝林寺の末寺とし、黄檗宗に改宗したと伝えられています。地元では、智光庵を黄檗堂と呼び親しまれています。

旧末寺および関係寺院

赤城山宝源寺

  • 〒379-2313 群馬県みどり市笠懸町鹿2908近辺
  •  宝源寺は現在では、門柱と石塔や墓地等を残すのみとなっていますが、その跡地は確認できます。一説にはお堂は火難により焼失したと言われています。当時を伝えるものはなく、歴代和尚塔からこの地にお寺が存在していたことが確認できます。現在は近隣寺院によって管理されています。
宝源寺
門柱
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開山
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宝源寺十三代(寳林寺二十八代)
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境内

臥龍庵

  • 〒379-2312 群馬県みどり市笠懸町久宮330
  • 臥龍庵は現在は公民館として活用されています。堂内には本尊、四天王像を祀ります。館内には神輿が保管され、石碑や額等の記載年代から明治初期〜中期ごろは非常に賑わいを見せていたものと考えられます。
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臥龍庵
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歴代墓
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開基墓
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寺号額

岩井山千年寺

  • 〒326-0046 栃木県足利市岩井町54
  • 千年寺は岩井山城の麓に位置し、乳房地蔵尊が祀られるお堂が残っています。岩井山城は、文正元年(1466)足利長尾氏の初代景人が足利庄代官として居城を構えた歴史的城跡です。本堂の跡地とみられる平地が残り、庫裡と思われる建物は荒廃していますが、かろうじて歴代和尚墓を確認することができます。地元住民及び近隣寺院によって管理されています。
千年寺跡地
地蔵堂
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千年寺七代和尚塔

定額山善光寺

  • 〒326-0101 栃木県足利市松田町492
  • 開山密山禅師。定額山善光寺という名は、信州・甲斐善光寺と同じ山号寺院名です。善光寺は明治7年に廃寺となり、現在は地元住民や近隣寺院によって管理されています。本尊は阿弥陀如来、脇侍は勢至観音菩薩(室町時代作)を安置し、毘沙門天、韋駄天像、十六羅漢像(江戸時代作)です。山門には仁王像(江戸時代作)が構え、足利市指定重要文化財に登録されています。黄檗宗では、本尊に阿弥陀如来を安置することはないため、江戸時代にいずれかの宗派から黄檗宗へ改宗したものとみられます。
善光寺山門
山門
善光寺本堂
本堂

門毛山済雲寺

  • 〒309-1341
  • 茨城県桜川市門毛
済雲寺歴代墓
歴代墓
石碑

志部庵

〒370-0517 群馬県邑楽郡大泉町西小泉4丁目27

志部庵については不詳ですが、時代背景から推察すると何らか寳林寺との関係あるいは交流があったと思われ、また、下図のような石塔が現在にも残されており、黄檗僧がこの地域で活躍していたことは間違いありません。石行尊と地元では呼ばれ、その正面には「大般若経理趣分 一石一字 一字三禮 書寫之塔」右側面には、「享保二十乙卯歳十月吉辰」左側面には、上州邑楽郡小泉村志部庵室 黄檗沙門觀性淨真建之」と刻まれています。

志部庵 石行尊
伝 志部庵跡
志部庵 石行尊
石行尊

間之原地蔵尊

黄檗沙門 觀性浄真墓

円通山北條庵

  • 〒326-0327 栃木県足利市羽刈町165
  • 北條庵に関しては、詳細は不明ですが、往時は宝林寺の住職が管理していたと伝えられています。現在は近隣の寺院によって管理されており、境内もきれいに整備されています。
 
本堂
歴代墓

慈眼寺

  • 〒373-0801 群馬県太田市台之郷町
  • 調査中

観照庵

調査中

円通庵

調査中

観音堂

調査中