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[潮音禅師物語]vol.12 音の知客は是れ金剛仏

石仏

寛文3年(1663)の冬、黄檗山の冬期結制には、500人もの修行僧が参加していましたが、潮音禅師はその中ですでに頭角を現していました。

その年の春、隠元禅師にお願いして「潮音道海」という名をいただきました。その法名は、隠元禅師が若いときに修行されていた中国普陀山にある「潮音洞」の激しい波涛を偲ばれてのことでした。

また、黄檗山小清規で三壇戒の授戒会が開かれますと、厳しい比丘の大戒を受けられました。まもなく、選ばれて黄檗山知客の職に任ぜられます。

寛文4年(1664)9月、隠元禅師が木庵禅師に黄檗山住持の席を譲られ、退院されました。このとき潮音禅師は、木庵禅師をよく補佐するようにと詩偈をたまわりましたので、黄檗山二代木庵禅師のもとでも引き続いて知客の職に就くことになりました。

当時の黄檗山は、中国式の法要が物珍しく、しかも伽藍整備も行われていたので、諸侯や各山の尊宿等が見学に来山することも多く、その対応が大変ではありましたが、それを巧みに捌くので、「音(潮音禅師)の知客は、是れ金剛仏なり。」と、称賛されました。

そして、この多忙の中で、潮音禅師は「臘扇集」を編纂し、出版されました。

出典:潮音道海禅師の生涯
発行者:潮音道海禅師三百年遠忌大法会実行委員会

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