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[潮音禅師物語]vol.29 黒滝山に隠栖

山脈

潮音禅師が広済寺を引退することになると、広済寺の跡を継ぐものがいませんでした。

寺院法度に「新寺で後継者がいないときは取り払うこと」と、あることから城とともに取り壊されることになりました。造営から約15年あまりで七堂伽藍を備えた大寺院が姿を消すことになります。建物は取り壊されたものの、仏像や什物類等は取り壊すわけにはいきませんので、同じく住職をしていた眞福山宝林寺へ移されました。

潮音禅師は、はじめ吾妻郡下の補陀山で、弟子の心月が監寺をしていた大円寺に入ろうと考えましたが、黒滝山の高源や開基の誠意ある要請で黒瀧山不動寺に入ることになりました。

天和3年(1683)7月1日弟子数人を伴って黒滝山に入られ、8月3日に晋山式を行いました。そのときの心情は、「年来尋ね得たり安禅の地、屋を結ぶ雲頭 我が情に合う、云々」の漢詩や、「踏み分けて深く隠るる山の奥に、伴うものは峰の白雲」と歌に詠んでいました。

そして、3年間は俗世間に出ないと禁足を誓われますが、道を求め教えを請う道俗は跡を絶たず参訪して、悠々自適の隠栖も許されませんでした。

  • 出典:潮音道海禅師の生涯
  • 発行者:潮音道海禅師三百年遠忌大法会実行委員会

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