草創一三〇六年。

開山、大拙祖能禅師
中興開山、潮音道海禅師
中興開基、直伝覚心居士・大機宗信居士
臨済から黄檗へ
七〇〇年の歴史を刻む黄檗宗の北関東道場

 唯心の浄土
 己身の弥陀

 唯心の浄土 己身の弥陀を
 坐禅・日常などを通して体得すること
 「いま、生きている自分自身の心の中に浄土があり、
 自分自身が仏であることに気づくこと」

今月の言葉

  • 煩悩の火は
  • おのれを焼く
  • 『仏教聖典』
  • The fire of desire burns oneself.

Topics

2020.07.22 2020.10.23 2020.07.12

[潮音禅師物語]vol.16 萬徳山廣済寺の開創

寛文9年(1669)の秋、故郷の肥前佐賀の鍋島候から呼び状がきて、「水上山の住職になるように」というのです。佐賀の名刹、水上山万寿寺の住職に招かれたわけですが、潮音禅師はこれを断りました。このことを聞いた館林では、「こ...

[木庵禅師物語]vol.1 黄檗山萬福寺

 京都の南の郊外。宇治の里は、平安朝時代から貴族の別荘地として知られていました。今、この地方を訪れてみますと、そこには当時の栄華を誇る平等院の殿堂や、寺社の面影を彷彿とさせる幾多の遺蹟を見ることができます。 そのなかに...

[潮音禅師物語]vol.14 上州眞福山に進山

寛文7年(1667)2月、黒田泰嶽、須田覺心、吉田大機等の勧めで上州(群馬県)館林領の邑楽郡新福寺村、眞福山寳林寺に進山されました。 この寺は、日頃から潮音禅師が敬慕されていた中峰国師の法孫、大拙祖能禅師が弘法の道場と...

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お知らせ一覧

痛棒頭明殺活
熱喝下辨龍蛇

縁起

宝林寺開山の大拙祖能禅師(勅謚:廣圓明鑑禅師)は一四歳で仏門に入り、比叡山・東福寺・天龍寺等に学び、
千巌元長禅師に就いて修行し、中峰明本禅師の法衣を賜り帰国しました。
一三〇六年の草創で、開山大拙祖能禅師は、日本大拙派を築くに至りました。

1667年潮音禅師は中峰明本禅師の禅風を慕って進山し、中興となり館林宰相綱吉公の帰依を受け、直伝覚心居士・大機宗信居士を中興開基として黄檗宗の宗風を振って道俗教化に務め、北関東最初の道場としました。1690年には、堂宇が悉く竣工を遂げました。しかし、1866年に至るまでに再三の火難に遭い、焼失していまいました。ですが、京都七条佛所二六代佛師康祐法眼・富小路友学流初祖康倫の造佛や什物等は消失せずに今日に伝えられています。

宝林寺縁起

雲盡胸天禅月朗
春回心地覺花香

梵鐘

宝林寺梵鐘は、国の重要美術品とされた名鐘で、館林城主徳川綱吉が、当時、
宝林寺に来住の潮音道海禅師を住持に迎えて創建した館林の廣済寺に、
寛文十年家老の黒田信濃守が寄進したもので、潮音の師木庵性瑫によって銘が刻まれています。

梵鐘銘文

萬徳山鐘銘並引館林宰相公為檀主開萬徳山広済禅寺延潮音海知蔵安禅立僧作第一代之住持黒田信濃守泰岳居士発菩提心捐金鋳蒲牢以鎮山門庶晨昏叩撃洪音郎徹普被幽冥並及山川神祇鬼趣獲聞斬音頓脱辛楚之難而超浄域自古以来凡有寺宇莫不懸鐘置盤極施其大利也由是来請厥銘山僧喜其素為勝事及援筆而書日 大地為炉治須弥作炭塊鋳出妙洪音高懸碧落背撃叩声無虧円聞苦 有隊頓脱業撃塗超昇極楽円厥巧並海深其徳与天配永鎮比山門萬 石而長在吾説斬偈言流芳百億載玉葉及金枝昌昌無窮代 旹在 寛文十年庚戌季春吉旦 臨済正伝第三十三世 黄檗木庵瑫山僧謹書 鋳工 宇田川藤四郎藤原次重

宝林寺梵鐘

仏像

宝林寺の仏像は古いもので室町時代(推定)の白衣観音像に始まり、
その他多くは江戸時代に制作されたものです。
江戸時代に制作された釈迦如来坐像、阿難・迦葉尊者像、布袋像、
韋駄天像、華光菩薩像、緊那羅像等は京七条仏師康祐作とされます。

釈迦如来坐像蓮台裏墨跡

元禄丁丑十季七月祥日
佛工元祖定朝法印二十六世
大佛工左京法印康祐忰三男
源姓清水氏友學入道康倫
三十三歳彫刻正与者也

宝林寺仏像