草創一三〇六年。

開山、大拙祖能禅師
中興開山、潮音道海禅師
中興開基、直伝覚心居士・大機宗信居士
臨済から黄檗へ
七〇〇年の歴史を刻む黄檗宗の北関東道場

    今月の言葉

    • 求めるところは少なくあれ
    •  
    • Don’t desire too much.
    •  
    • 「法句経」

    Topics

    [潮音禅師物語]vol.25 旧事本紀大成経

    潮音禅師は、賀茂に定林庵をおこしたとき、はじめて日本の神に関心を持たれました。 早くから神道に深く関心を持っていながら、神道の意義については理解できないものがありました。そこで神道に造詣の深い青木端山居士に訊ねてみまし...

    [潮音禅師物語]vol.28 萬徳山廣済寺を辞去

    天和3年(1683)正月、木庵禅師が病に伏せられたという知らせがきました。潮音禅師は急いで黄檗山に上ってお見舞いされますと、すでに快方に向かっていた木庵禅師は、潮音禅師に心をこめて感謝されるのでした。木庵禅師は紫雲院の...

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    お知らせ一覧

    痛棒頭明殺活
    熱喝下辨龍蛇

    縁起

    宝林寺開山の大拙祖能禅師(勅謚:廣圓明鑑禅師)は一四歳で仏門に入り、比叡山・東福寺・天龍寺等に学び、
    千巌元長禅師に就いて修行し、中峰明本禅師の法衣を賜り帰国しました。
    一三〇六年の草創で、開山大拙祖能禅師は、日本大拙派を築くに至りました。

    1667年潮音禅師は中峰明本禅師の禅風を慕って進山し、中興となり館林宰相綱吉公の帰依を受け、直伝覚心居士・大機宗信居士を中興開基として黄檗宗の宗風を振って道俗教化に務め、北関東最初の道場としました。1690年には、堂宇が悉く竣工を遂げました。しかし、1866年に至るまでに再三の火難に遭い、焼失していまいました。ですが、京都七条佛所二六代佛師康祐法眼・富小路友学流初祖康倫の造佛や什物等は消失せずに今日に伝えられています。

    宝林寺縁起

    雲盡胸天禅月朗
    春回心地覺花香

    梵鐘

    宝林寺梵鐘は、国の重要美術品とされた名鐘で、館林城主徳川綱吉が、当時、
    宝林寺に来住の潮音道海禅師を住持に迎えて創建した館林の廣済寺に、
    寛文十年家老の黒田信濃守が寄進したもので、潮音の師木庵性瑫によって銘が刻まれています。

    梵鐘銘文

    萬徳山鐘銘並引館林宰相公為檀主開萬徳山広済禅寺延潮音海知蔵安禅立僧作第一代之住持黒田信濃守泰岳居士発菩提心捐金鋳蒲牢以鎮山門庶晨昏叩撃洪音郎徹普被幽冥並及山川神祇鬼趣獲聞斬音頓脱辛楚之難而超浄域自古以来凡有寺宇莫不懸鐘置盤極施其大利也由是来請厥銘山僧喜其素為勝事及援筆而書日 大地為炉治須弥作炭塊鋳出妙洪音高懸碧落背撃叩声無虧円聞苦 有隊頓脱業撃塗超昇極楽円厥巧並海深其徳与天配永鎮比山門萬 石而長在吾説斬偈言流芳百億載玉葉及金枝昌昌無窮代 旹在 寛文十年庚戌季春吉旦 臨済正伝第三十三世 黄檗木庵瑫山僧謹書 鋳工 宇田川藤四郎藤原次重

    宝林寺梵鐘

    仏像

    宝林寺の仏像は古いもので室町時代(推定)の白衣観音像に始まり、
    その他多くは江戸時代に制作されたものです。
    江戸時代に制作された釈迦如来坐像、阿難・迦葉尊者像、布袋像、
    韋駄天像、華光菩薩像、緊那羅像等は京七条仏師康祐作とされます。

    釈迦如来坐像蓮台裏墨跡

    元禄丁丑十季七月祥日
    佛工元祖定朝法印二十六世
    大佛工左京法印康祐忰三男
    源姓清水氏友學入道康倫
    三十三歳彫刻正与者也

    宝林寺仏像