[潮音禅師物語]略年譜
年号 | 紀元 | 年齢 | 記事 | 物語 |
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寛永5年 | 1628年 | 1歳 | 肥前(佐賀県)小城郡小城町西川に生まれる。父は、楠田氏、母は前田氏。 | vol.1 禅師の生い立ち vol.2 幼くして良将の素質 |
寛永17年 | 1640年 | 13歳 | 小城の慈雲寺の泰雲に投じて沙弥となる。 | vol.3 出家得度 |
正保元年 | 1644年 | 17歳 | 出郷して筑後で一冬、京師にのぼり勉学に励む。 | vol.4 諸方遍歴の旅立ち |
正保3年 | 1646年 | 19歳 | 江州(滋賀県)瑞石山の永源寺如雪の会下に入り参究す。 | vol.5 一絲禅師を慕って瑞石山へ vol.6 瑞石山で修行に励む |
承応3年 | 1654年 | 27歳 | 備前に帰る。長崎で隠元に参ず。 | vol.7 生涯に一度だけの帰郷 vol.8 隠元禅師に参ず |
明暦元年 | 1655年 | 28歳 | 不遜語を残して瑞石山永源寺帰る。 | vol.9 不遜語 |
萬治2年 | 1659年 | 32歳 | 賀茂に定林庵を建て、同志と刻苦励志す。語心院の規伯玄方、深草の元政上人と交わる。 | vol.10 観音感通伝 |
萬治3年 | 1660年 | 33歳 | 「観音感通伝」を編して刻版。東福門院に献上。美濃萬亀山臨川寺に迎えられ入寺。賀茂社を勧請。 | vol.10 観音感通伝 |
寛文元年 | 1661年 | 34歳 | 黄檗に登り再び隠元に参ず。小松寺再興を始める。 | vol.11 黄檗山に登る |
寛文2年 | 1662年 | 35歳 | 初めて伊勢神宮に詣る。 | |
寛文3年 | 1663年 | 36歳 | 黄檗山三壇戒で大戒を円具す。 | vol.12 音の知客は是れ金剛仏 |
寛文4年 | 1664年 | 37歳 | 「臘扇集」を編す。黄檗山知客となる。 | vol.12 音の知客は是れ金剛仏 |
寛文5年 | 1665年 | 38歳 | 木庵に随行、江戸に出て諸大夫に交あう。池田秀峰、黒田泰岳の二居士の帰依を受ける。 | vol.13 江戸大慈庵 |
寛文6年 | 1666年 | 39歳 | 江戸大慈庵に迎えられる。栄三尼参ず、緑樹院夫人四弘六度の義を問う。「霧海南針」を著す。 | vol.13 江戸大慈庵 |
寛文7年 | 1667年 | 40歳 | 須田覚心・吉田大機らに請われ、上州眞福山宝林寺に進山(2月) | vol.14 上州眞福山に進山 vol.15 館林城内で法座 |
寛文9年 | 1669年 | 42歳 | 上州館林の城代金田遠江守等の進言で、綱吉公萬徳山廣済寺を開創。木庵を開山とす。10月進山。 | vol.16 萬徳山廣済寺の開創 vol.17 萬徳山廣済寺の造営 |
寛文10年 | 1670年 | 43歳 | 「十七条憲法註」を版行。 | |
寛文11年 | 1671年 | 44歳 | 瑞聖寺西堂となる。木庵から印可を受ける。大慈山小松寺の開山に隠元を奉ず。 | vol.18 木庵禅師の印可 vol.19 大慈山小松寺の開山に隠元を奉ず。 |
寛文12年 | 1672年 | 45歳 | 美濃に紫金山・福聚山を開山。緑樹院夫人没す。 | vol.20 塔頭緑樹院を開く |
延宝元年 | 1673年 | 46歳 | 隠元遷化す。道林秀に付法。黒滝の高源参ず。 | |
延宝2年 | 1674年 | 47歳 | 栄三尼等大慈庵を本所に移す。緑樹院を開院。尾州神護山を開山。 | vol.20 塔頭緑樹院を開く |
延宝3年 | 1675年 | 48歳 | 肥前松平信濃守、鍋島加賀守、鍋島紀伊守、弟子の礼をとる。池田氏から憲法本紀、京極氏から旧事本紀大成経を知り、「五憲法」(憲法本紀)刻版。補陀山開山。黒滝山開山。実父没す。 | |
延宝4年 | 1676年 | 49歳 | 信州浅間山を開山す。 | |
延宝5年 | 1677年 | 50歳 | 浅間山に登山、山頂で施食文を誦す。真寂塔建立。萬徳山開堂。肥前慈雲寺泰雲寂す。 | |
延宝6年 | 1678年 | 51歳 | 綱吉公に萬徳山開堂語録を呈す。 | |
延宝7年 | 1679年 | 52歳 | 美濃大慈山開堂。旧事本紀大成経40巻本刊行。 | |
延宝8年 | 1680年 | 53歳 | 江戸真光庵(真光寺)開創。大綱を住す。 | |
天和2年 | 1682年 | 55歳 | 江戸福聚庵(泰耀寺)開創。千山住す。禅海庵に天柱入寺。大成経一件で50日の閉門蟄居となる。「破文答釈」を編す。深川三庵焼ける。 | |
天和3年 | 1683年 | 56歳 | 徳松君没。館林城取り壊し。萬徳山退山し黒滝山に入山。「黒滝三転語」「黒滝山十二景詩」 | |
貞享元年 | 1684年 | 57歳 | 木庵遷化。江見山、雨宝山を開山。 | |
貞享2年 | 1685年 | 58歳 | 肥前祥光山を開山。七師七友の図(陳元興) | |
貞享3年 | 1686年 | 59歳 | 六社明神黒滝山に勧請。浅間山開堂。慈眼山開山。 | |
貞享4年 | 1687年 | 60歳 | 「聖胎長養禄」「南牧山居詩」「扶桑護仏神論」「信心銘要」を著して刊行。 | |
元禄元年 | 1688年 | 61歳 | 「摧邪論」を著す。栄三尼は大蔵経を黒滝山に喜捨す。 | |
元禄2年 | 1689年 | 62歳 | 「日本年事略儀集」を撰す。 | |
元禄3年 | 1690年 | 63歳 | 黒滝山寿塔建つ。鹿島山開山。亀田祖岩梵鐘喜捨。 | |
元禄4年 | 1691年 | 64歳 | 黄檗堂頭独湛に、代付、返法、官訴の禁断を勧む。 | |
元禄5年 | 1692年 | 65歳 | 黒滝山で授戒会開く。亀田祖岩山門を喜捨。大蔵経を読破する。栄三尼86歳で黒滝山に登る。黒滝山開堂。報恩院を建つ。法隆山開山。 | |
元禄6年 | 1693年 | 66歳 | 黒滝宗派簿を作成す。 | |
元禄7年 | 1694年 | 67歳 | 黒滝大殿・釈迦三尊像成る。「南牧百吟集」刊行。「三道権與禄」を撰す。 | |
元禄8年 | 1695年 | 68歳 | 宗祖二十三回忌のため2月21日黄檗山に出発。信州円満庵虚空蔵菩薩を開光。美濃萬亀山臨川寺に滞在中に病気となる。8月24日遷化。 |