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【お坊さんの寺めぐり】袈裟山千光寺

千光寺 山門

由来

  • 平安時代に、嵯峨天皇の皇子で弘法大師の十大弟子の一人、真如親王が当山に登山され、本尊千手観音を拝し、法華経一部八巻と二十五条袈裟が奉祀されていたことから袈裟山千光寺と名づけ、自ら開基になりました。
  • それ以来高野山の末寺となり、「飛騨の高野山」とも呼ばれています。また、鎮護国家を祈祷する道場でもあったため、朝廷の帰依を受け、寺運は隆昌を極め、山上に19の院坊を持ち、飛騨国内に30ヶ寺の末寺をかまえていました。
  • 飛騨一宮神社の別当職も兼ね、天皇御即位の際には、国家安穏玉体安穏、万民豊楽、諸人快楽を祈念して一位の笏木の献上もしていました。
  • ところが、室町時代に飛騨国内の内乱で一時衰退し、戦国時代に入り永禄7年(1564年)、甲斐の武田軍勢が飛騨に攻め入った折、全山炎に包まれてしまいます。そして、諸伽藍や末寺、数万の経典儀軌等も悉く灰燼に帰してしまいました。しかし、本尊は守られ、その法灯は今も連綿として続いています。本尊は秘仏となっており、7年に一度御開帳があります。
  • 現在の堂宇は、江戸時代以降、高山城主金森長近公を始めとして、檀信徒や高山の旦那衆の力によって順次再興、建立されたものです。

鐘楼堂

  • 建立年不詳。永禄7年(1565)、武田軍勢により伽藍は焼き討ちにあい、当山中腹にあった鐘楼が焼け落ち、梵鐘が真っ赤に焼けて、武田勢をなぎ倒したとの伝説がある。その梵鐘は長く高山城破却の際に当山に帰ってきた。その鐘には松倉城三木氏の寄贈の銘があり、現在岐阜県指定文化財として、円空仏寺宝館に納められている。現在の鐘楼は江戸時代に再建されたものである。
  • 境内掲示より
千光寺

袈裟山千光寺

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