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【お坊さんの寺めぐり】海雲山晧臺寺

由緒

海雲山 晧臺寺は、今からおよそ400年前、慶長13年(1608)、 肥前国松浦郡山口村(佐世保市相浦町)飯盛山洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建されました。当時、長崎は領主をはじめ住民の殆どがキリシタン信者であり、仏法復興のために奮闘した亀翁の苦心は想像に余りあるものでした。 慶長18年(1613)、キリシタン禁教例の発令により全盛を誇ったキリシタンにも次第にかげりが見え始めました。 そこで亀翁は、後任に肥前国上佐嘉春日村(佐賀県佐賀郡大和町)玉林寺住持一庭融頓を迎え、その法席を譲りました。一庭は、鈴木正三と共にその実弟で天草代官である鈴木重成の招請に応じ島民の教導に努めるなど、 キリシタン転宗教化に一層努力するとともに、長崎に光雲寺・永昌寺・高林寺の三ヵ寺を開創し、晧臺寺の末寺としました。三世月舟宗林の時、庫裡ならびに方丈・禅堂・衆寮・本堂などが建立され、禅寺としての体裁が整えられました。 明治29年(1896)、二十七世金峰玉仙は、曹洞宗認可僧堂を開単し雲衲の接化の努めました。以後多くの修行僧が全国より集まり、現在の晧臺寺専門僧堂の基礎を築くこととなりました。

引用:晧臺寺の概要

本堂(萬徳殿)

館林萬徳山広済寺の従物が宝林寺に移されていることもあり、「萬徳」という言葉にはすぐに目が行きます。この本堂、別名、萬徳殿というそうです。寛文3年(1663)、三世月舟宗林の時建てられ、すべてチーク材が使われているとのことです。本山萬福寺もチーク材です。そして、須弥壇上には釈迦・文殊・普賢の中国風の三尊像及び総門は、 高一覧(中国)により寄進されたものなのだそうです。

このように長崎は中国の影響をすごく受けているのが随所にあらわれています。

大仏殿(華厳閣)

総門をくぐると正面にそびえるのは、この大仏殿です。中に入るととても大きな大仏がお出迎えしてくれます。享保8年(1723)、十一世古岳日峻の代に完成し、高さ3.4メートルの昆慮舎那仏坐像が安置してあります。また、堂の正面に東皐心越書で「常寂光」の大額が掛かっています。 東皐心越禅師というと、曹洞宗寿昌派を興し、達磨寺の開山とされる方です。長崎の興福寺に住し、黄檗山萬福寺の木庵を訪ねるなど黄檗僧との交流が深かったようです。

海雲山晧臺寺

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