−完−[潮音禅師物語]vol.36 遷化
倒れられる数日前、「体調が悪い、長くはないかもしれない。」と智外に漏らしたといいます。倒れると手足が麻痺して利かなくなり、ご自分の最期を感じられて侍者の寿峰を呼び、「言い残す言葉がある。手の自由が聞かないから代筆しなさい。」と命じ、寿峰が筆を用意して、「言い残す言葉はなんですか。」と尋ねと、「68年掣風掣顛、臂を掉(ふ)って行く処大千を蹈倒(とうとう)す。」と、云われました。この後、容態は急激に悪化し、小松寺の覺照や寿山が、そして各地の門人が次々と駆けつけましたが、すでに為す術はありませんでした。佐賀藩藩主綱茂や鍋島紀伊守の名代も見舞われました。
しかし、薬石の効はなく、ついに、8月24日辰の刻(午前8時)静かに遷化されました。時に68歳でした。霊龕(れいがん)は7日の間安置されてから、釈迦如来の例に倣って裏山で荼毘に付され、その霊骨を黒滝山と萬亀山に分けて葬られました。
出典:潮音道海禅師の生涯
発行者:潮音道海禅師三百年遠忌大法会実行委員会