黄檗事典

黄檗事典

黄檗にまつわる言葉や表現、禅宗で使われる言葉や表現をまとめました。すべてを網羅することは困難ではありますが、言葉や表現を見つけ次第、随時追加予定です。なお、本事典の内容は黄檗宗慧日山永明寺「黄檗宗のことなら何でも分かる事典」より一部引用させていただいております。

名称ふりがな意味
挨拶あいさつ挨は「迫る」、拶は「切りこむ」こと。師匠と弟子との問答のやりとりのこと。今では日常語にもなっている。
鞋子あいし修行期を終え、暫暇挨拶にきた雲水に渡す心付けの儀袋の題簽(だいせん)
網代笠あじろがさ行脚や托鉢のときに用いる。
阿羅漢あらかん羅漢は略称。一切の煩悩を断滅し、なすべきことを完成した人。
行脚あんぎゃ広く諸方に師匠を求めて旅をすること。
安居あんご釈尊の時代に、雨季の期間は無益の殺生を避けるために、一ヵ所に止住して修行したことを安居という。現在の僧堂では、年中「安居」であるから、夏に限らず一年を二期に分け、二月から七月までを雨安居、八月から一月までを雪安居という。
安単あんたん自分の坐禅する場所に着座すること。
唵唖吽あんやほん唵唖吽とは「三字咒」とも言われる真言である。宗門で用いる施餓鬼経本「瑜伽焔口科範」の中に幾度となく出てくる。口伝では、「み仏の教えを理解しました。帰依します。」の意とされるが、出典は不明である。
行録あんろく祖師の行状をしるした記録。
伊雑宮事件いざわのみやじけん潮音道海禅師が著した大成経が偽作と断定され、潮音ほか、関係者が断罪された事件をいう。この事件は 三重県志摩市磯部町にある式内論社・伊雑宮に関することが記されていて、その内容の真偽を巡って事件となったことから、こう称された。 この際、潮音は、五代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院から深く帰依されていたことから減刑され、謹慎50日の刑に服することになった。
石槻いしつき魚梆を敲く僧の足下付近に敷かれた50㎝四方の石板の名称。開板を敲く直前、僧はバイを一旦床の石槻に垂直に落とす形で突く。この時、バイは落とした反動で跳ね上がり、その余勢を借りて開板を敲く。
韋駄天菩薩像いだてんぼさつぞう韋駄天菩薩は、増長天の部下にあたる勇猛果敢な将軍の一人とされている。韋駄天菩薩は、足が速いとされ、法の守護神として境内を荒らし回る者を見張る役目を担っているところから、本堂を見守る形で置かれているのだという。
一味禅いちみぜん恵極道明禅師が、黄檗派の持戒禅について分かり易く解説した法語の題。
一箇半箇いっこはんこ「一人でも半人でも」との意。きわめて少数のこと。
一炷いっしゅ炷というのはもともと線香などを数える数詞に添える語で、香の一くゆりという程の意。現在では線香一本の燃えつきる時間、約四十分間を一炷という。「いっちゅう」とも読む。
五つ止めいつつどめ読経時に止めの合図をする鳴り物の打ち方。
威徳殿いとくでん黄檗山開基の四代将軍徳川家綱公(戒名・厳有院殿贈正一位相国公)をはじめ徳川家歴代将軍を祀るために万福寺山内に建てられた堂宇。
維那いの「いのう」とも読まれる。衆僧の綱紀を司る役で、修行僧の手本となり、皆が和合するように務める役位。山内法要の総指揮を担当し、触書を作成する。 修行者の指導、読経の読み出し、題目や回向文を読み上げること等を行い、全員の調和を計ることが重要な責務である。 
維那いのう法要のとき、誦経の先導や回向文を諷誦する係。
印可いんか印信許可。師が弟子に法を授けて、弟子が法を得て悟りを開いたことを証明認可すること。
引磐いんきん直日が大衆の行動を指示するのに用いる「鳴らしもの」の一つ。
引磬いんきん鳴り物法具の一つ。柄のついた小さな磬で、音色の違う2個を一組として用いる。2個の内1個は大引磬と呼び、高音(チン)で鳴る。 小引磬は低音(ツン)で鳴り、音色の相違があるものを一組として求める。これが、黄檗梵唄の音楽性を華やかなものにしている。
隠元門下二傑いんげんもんか宗祖隠元禅師法嗣は24人いたが、日本に渡来した中でも木庵性瑫、即非如一禅師の二人は二甘露門とも二傑とも称された。 
隠侍いんじ師家に直接つかえ日常の世話をする侍者。
陰徳いんとく人知れず大衆のためになることをして、徳を積み心力をたくわえること。
影壁いんぴー、えいへき「えいへき」とも呼ぶ。中国建築様式の特色である魔除けの壁で、玄関から侵入してきた邪鬼が主用建物に近づけないように配慮した一種の防護壁をいう。邪鬼はまっしぐらに壁に突進、激突し、ただ立ち去るほかなく、智恵有る者のみが山門に至るとされている。黄檗山の場合、山門から法堂まで主要建物が一直線にならんでいることから、総門の位置を中央線上からわざとずらした位置に配置していて、この総門から進入した正面に土塀が設けられているが、これが影壁にあたる。
隠木即いんもくそく黄檗宗能書家の三人、即ち隠元、木庵、即非の三禅師を言う。黄檗三筆とも称される。
隠寮いんりょう師家または長老の居所。
烏枢沙摩明王うすしまみょうおう不浄を転じて清浄にする徳をもつ神といわれ、東司(便所)の護り神として祀られる。
打ち切りうちきり読経の区切りがついたことを、木魚、太鼓、繞鉢等で大衆に知らせる合図のこと。
うどん供養うどんくよううどんをふるまうこと。食事のときは一切音をたててはならないが、このうどんをすする音だけは例外的に許されている。
打ち上げうちあげ鳴り物による法要開始の合図が完了する状態をいう。 
雲水うんすい修行僧のこと。行雲流水のように淡々として一処に止往せず、天下に正師を求めて、遍歴する意よりくる。雲衲ともいう。
雲衲うんのう雲水。衲は衣とか、繕うの意。すなわち、破れ衣をつくろって着ている修行僧のこと。
雲版うんぱん雲形をした青銅製の鳴り物法具。主に粥座や斉座の食事時間を報じるほか、朝課等の勤行の触れにも用いる。 
雲片うんぺん普茶料理の献立の種類。 料理に使用した野菜の残り物を葛で味付けしたもの。
会下えか一人の師家のもとに教えを求めて集まった修行者の総称。すでに僧堂を巣立った人たちも含めていう。=会中、門下
回向えこう廻転趣向の略。善根功徳を行なって衆生に施すこと。一般には法要、誦経などをして亡者を仏道に入らせることをいう。
悦衆えっしゅう大引磬、小引磬、木魚を担当する役位の呼称。 三悦衆とも云う。
衣鉢えはつ修行者が常に持参している三衣(袈裟)一鉢(食器)のことで、僧の持物の中で最も重要なもの。転じて宗旨、奥義のことをいう。また、伝法のしるしに師の袈裟と鉄鉢を弟子に授けたことから、法を伝えることを「衣鉢を伝える」という。
円座えんざ土間に敷く、藁で編んだ丸い形をした座布団様の敷物のこと。黄檗山はじめ宗門寺院の多くの建物は、中国様式の建築のため堂内は瓦敷きである。このため勤行の際は、立ったまま読経するのを通例としているが、拝をするときや胡跪 の際には、そのままでは衣が汚れることからこの円座を使用する。
円成えんじょう円満に成就すること。十二分に成果をあげて終わること。
演浄儀えんじょうぎ道場を浄める法式。 大般若会、放生会、開眼法要等の場で必ず厳修される法要。
園頭えんず菜園を管理する係。
遠鉢えんぱつ遠方まで托鉢に出かけること。
黄字崩しおうじくずし黄檗宗の「黄」の字をデザイン化し、宗紋の様に用いたことからこのように呼ばれ、法衣法服の模様や茶器等の模様として愛用されている。
黄檗山小清規おうばくさんしょうしんぎ享保11(1716)年8月、聖林院の漢嶺沖別禅師が、元禄年間に知客寮にあった原稿を編集し「黄檗清規」を補完するものとして作成したもの。
黄檗三祖おうばくさんそ宗門で特に「徳行」に優れた隠元禅師、「道行」に優れた木庵禅師、「禅行」に優れた即非禅師の三人の祖師方を尊称してこう呼ぶ。
黄檗三筆おうばくさんぴつ書に堪能な隠元、木庵、即非の三禅師を称した語で、隠木即という呼び名で膾炙されてもいる。三人の書にはそれぞれの個性と特徴がある。隠元の「穏健高尚な書」、木庵の「雄健円成の書」、即非の「奔放闊達な書」と評される。
黄檗十二景おうばくじゅうにけい古黄檗十二峰にならって、日本の黄檗山万福寺をめぐる景勝地を十二選し、隠元禅師が命名かつ景趣を叙されたもの。①妙高峰 ②大吉峰 ③五雲峰 ④白牛巖 ⑤青龍澗 ⑥雙鶴亭 ⑦三汲池 ⑧龍目井 ⑨松隠堂 ⑩萬松岡 ⑪中和井 ⑫東林庵の十二景がある。
黄檗聲明おうばくしょうみょう声明とは仏教の儀式・法要で僧の唱える声楽の総称とされているが、宗門内でこの表現を用いることは少なく、梵唄を通称としている
黄檗清規おうばくしんぎ享保11(1716)年8月、聖林院の漢嶺沖別禅師が、元禄年間に知客寮にあった原稿を編集し「黄檗清規」を補完するものとして作成したもの。
黄檗綴おうばくつづり宗門法要時の記録綴りは、綴じ紐で仮止めの後、本綴じをするが、その様式方法は定められている。本綴じの方法は、5~6㎝角の正方形の赤紙で綴り紐を隠すようにしながら、三角形状に二つ折りにし、表裏一体に貼り付ける。
黄檗脱ぎおうばくぬぎ宗門内での履き物の脱ぎ方。礼儀作法として教えられる標準的な履き物の脱ぎ方は、「出船式」が一般的である。これらの脱ぎ方に対し、「黄檗脱ぎ」は、「横付け式」ともいうべき宗門独特の作法である。
大四九おおしく十四日と晦日のこと。この日は朝日の射すまで寝忘れ(朝寝)ができ、剃髪後、半日がかりで大掃除をする。午後は私用外出することもできる。
折座具おりざぐ座具は常に左腕に掛けることとされているが、正座する時は、腕から外し、正面に四つ折りにしておくこととなっている。これを「折座具」という。
怨親平等塔おんしんびょうどうとう黄檗山大雄寳殿東横、慈光堂南側に位置する場所に設置された宝筐印塔(供養塔)。戦前から萬福寺には多くの華僑が出入りしていたが、昭和12(1937)年に勃発した支那事変で、多くの戦死者が出たことを憂えた第四十九代玉田管長は、「法華経」69,643文字を一字一石に書き、宝筺印塔に収め冥福を祈ることを発願された。そのことに感激された信者の九鬼悠儼氏とその一族により、昭和19(1944)年に建立されたのがこの「怨親平等塔」である。
戒経かいきょう弘戒法儀のこと。
開講かいこう講座を開くこと。
開山祥忌かいさんしょうき宗祖・隠元禅師のご命日法要で、示寂された四月三日に実施される。他の臨済宗各派では毎齊忌と呼ばれている。
開山髪塔かいさんはつとう宗祖・隠元禅師の遺髪塔。滋賀県彦根市旧景徳寺境内の一角に建てられている。 高さ約二メートル。石碑正面には「開山大光普照國師琦老和尚髪塔」と彫られていることから、宗祖の國師号授与が公にされた以降に建立されたものであろうが、その由緒は不明である。
戒子かいし授戒を受ける人、即ち受戒者のこと。黄檗派が三壇戒会を始めるまでは授戒は僧侶となろうとする者が受けるべきものとされていたから、戒子は僧侶に限定されていたが、黄檗派が挙行した戒会は、僧俗分け隔て無く実施したことから、一般人も含んでいる。
開静かいじょう起床。開定とも書くが、正しくは開静。
解制かいせい安居の制を解くこと。
戒牒かいちょう授戒を受けた戒子に受戒証明として渡される証明書。中には、過去七仏以降、戒子までの伝法系譜を記したもの、授戒役位名を記したもの、得戒阿闍梨の詩偈等が入っている。
開枕かいちん臥具をのべ寝に就くこと。開被安枕の略。被はふとんのことで、ふとんを開いて、枕を安んずるの意。
開静(枕)太鼓かいちんだいこ就寝を促す合図である。黄檗山では毎21時、禅堂接版七・六・七の後に打ち鳴らされ、三十分にも及ぶ長いものである。その敲き方は、「七五三の刻み打ち」と称され、七ツ、五ツ、三ツを基調としたもので、どちらかというと陣中における触れ太鼓を想起させる。この敲き方は、後に祇園祭りの囃子や小倉祭り太鼓に採用されたというし、山鹿流の陣太鼓に採用されたといわれている。
魚梆(開板)かいぱん黄檗山のシンボルのように扱われた木製の大きな魚。木魚の原型とされ、一本の丸太を魚形に彫刻し、側面を敲いて音が鳴るように胴をくり抜いた鳴り物法器。黄檗山のそれは一見鯉を連想させる姿をしている。
開浴かいよく浴室を開いて入浴すること。原則として四九日にある。
鶴裳衣かくしょうえあたかも鶴の羽根をかたどったように袖が羽根を広げたように丸くなり、縁を墨色でふちどっていることからこの名称がある。売茶翁が好んで着用していたとされ、茶会用、道中衣として用いられているが、最近では見かけることが少なくなってきた。
覚性円明国師かくしょうえんみょうこくし文政6(1823)年、隠元禅師の百五十回忌に際し、仁孝天皇から禅師に贈られた謚号
嘉興蔵版かこうぞうばん宗祖が渡来時に帯来された明版一切経の種類をいう。宗祖は、鉄眼が一切経の開刻を発願したことを木庵から聞き、大いに喜ばれ本人に偈と共に直接与えられたという。
華光大師かこうだいし昭和47(1972)年、隠元禅師三百年遠忌に際し、昭和天皇から禅師へ贈られた謚号
掛錫かしゃく行脚の雲水か僧堂に入ることを許され、錫杖(つえ)を壁のかぎに掛けること。つまり、雲水が僧堂に入門すること。=掛搭
加担かたん本山などで開山忌などが行なわれるとき、役配をうけ手伝うこと。また一般に手伝うの意。荷担とも書き、加役ともいう。
華誕会かたんえ在住の住持の誕生日をお祝いする日で、本山では、山内の僧が祝聖の諷経を行う。最近では、住持から、お礼の紅白饅頭が本院の職員に配られる。
華頂伝かちょうでん施餓鬼法要の伝授の一種で主として、江州地方の中で使われた言葉。華頂如秀が一派に伝えた法要方法といわれる。 密印等の所作が大ぶりで派手だったといわれている。これに対して観輪行乗が伝えた伝授法を観輪伝と言う。
合山鐘がっさんしょう黄檗山内の鼓楼(ころう)から開山堂につながる廻廊(新廊下)の途中にある釣鐘のこと。鐘楼の釣鐘は戦時中に供出されてしまったが、この合山鐘は宗祖・隠元禅師の銘が入っていたことから供出を免れたと言われている。毎月三日の開山忌、法皇忌等、開山堂で実施される法要時だけに鳴らされる。
掛搭かとう搭は搭鈎、すなわち、ものを釣るかぎのこと。初めて叢林に入る者が、衣鉢袋を僧堂の単の鈎に掛けたことから始まり、修行僧が一定の寺に止住することをいう。=掛錫
家風かふう家のならわし。その家で世々相伝えている風習、あるいは雰囲気のこと。転じて禅宗では指導者が修行者に対してとるおのおの独自の指導法。家風が歴史的な用法であるのに対して、境涯はより心理的な意味を含み主観的な心の状態をさす。
花米かべい落慶法要等の演浄儀で播かれる洗米に花片を混ぜたもの。 散華と同様の意味合いを持つ。
賀饅がまんお祝いの紅白鏡餅のこと。 住寺晋山式等に壽位の間に供えられる。
加役かやく手伝うこと。=加担
勧学屋かんがくや了翁道覚禅師が売り出した錦袋圓という薬を販売した店舗名。 「江戸名所図絵」巻五には店舗図(下図)が掲載されているが、独特な構造であったことが知られる。 残念ながら関東大震災で被災し、消滅した。
看経かんきん声を出さないで経文を読むこと。または経を低声で読誦すること。
喚鐘かんしょう独参のときに参禅者を一人一人呼ぶために鳴らす鐘。通常は朝晩の二回鳴らされる。参禅者は順番を待ち、老師の室に入る前に喚鐘を二つたたいてから入る。
閑栖かんせい隠居した禅僧のこと。
龕薦堂がんせんどう僧侶の津葬儀において、霊龕を安置するための御堂のこと。葬儀の際に臨時に設置される建屋で基本的には屋外、本堂の正面に設けられる。二間間隔程度に四本の柱(または青竹)を立て、上部を白布で覆っただけの簡素なもので四門ともいう。
看頭かんとう食事の時の監督役。看頭の鳴らしものの合図で、飯台看(給仕役)も大衆もいっさいの動作をすすめる。
看燈の拝かんとうのはい中元法要中、各塔頭は、寿塔前廻廊に塔頭名を大書した提灯を掲げ、ここで猊下、塔頭院主、両序は毎朝拝をする習わしになっている。
看話禅かんなぜん師から与えられた公案を参究工夫して大悟に至ろうとする修行方法。総じて臨済宗の修行法。=公案禅
看板袋かんばんぶくろ僧堂名を染め抜いた頭陀袋のこと。
勘弁かんべん禅僧が修行者の力量、素質を試験すること。
帰院きいん僧院に戻ること。=帰山
規矩きく規則のこと。
喜捨きしゃ施すこと。浄財を喜んで施すこと。捨には報いを求めないという意がこめられている。
久参きゅうさん長い間修行している人。
饗応きょうおう檀信徒から馳走をふるまわれること。
境界きょうがい修行して到達した心の状態。境涯とも。
行住坐臥ぎょうじゅうざが行住坐臥を四威儀というが、日常の立居振舞すべてのこと。「立っても坐っても」「いつも」の意。
暁鐘ぎょうしょう明け方を知らせる鐘。
行道ぎょうどう誦経しながら堂内を巡ること。
金剛上師きんかんじゃんす施餓鬼法要の際、導師(中座という)が宝冠をかぶり脱ぐまでの間、勤める役を言う。「こんごうじょうし」とも読めるが、一般的には唐韻読みしている。
径山首出国師きんざんしゅしゅつこくし明和9(1772)年、隠元禅師の師である費隠通容禅師の百回忌に際し、後花園天皇から隠元禅師に贈られた謚号
錦袋圓きんたいえん了翁道覚禅師が販売した漢方薬の名称。
禁牌石きんぱいせき不許葷酒入山門 (くんしゅ山門にいるを許さず。」と書かれ、多くは禅宗寺院の門前に建てられた石碑のこと。今日では、禅宗以外の寺院でも見かけるが、もともとは、持戒を重要視する黄檗宗が最初に導入し、建てたものであると言われる。
経行きんひん坐禅のとき、睡気を防ぎ、足の疲れを休めるために行なう歩行運動。禅堂の周囲などを巡って歩く。
弘戒法儀ぐかいほうぎ隠元禅師が「黄檗三壇戒法要」の法式等の実施要領についてとりまとめたもの。 「戒経」ともいう。
供給くきゅう食堂において給仕をすること。
窟門くつもん中国様式の土塀に開けられた通り口。 黄檗山三門の両側に設けられた門はその様式をよく伝えている。正面に向かって右を通宵路、左側を白雲関と呼ぶ。 それぞれに聯額が掛けられている。 通宵路の聯は右が「眼底に疑有らば縦に歩することを休めよ」、左が「胸中に碍無ければ自ずから通宵」である。白雲関は右が「門外已に無差別の路」、左が「雲辺又一重の関有り」である。
工夫くふう修行に精進し、公案を究弁すること。
庫裡くり台所のこと。
桂巌門下けいがん即非如一法嗣・桂巌明幢門下から碩学禅者が輩出したことからこの名称がある。
警策けいさく坐禅時の励ましに用いる棒で、清規では「香版」と記載されているが、通常、使用している呼称は「警策」である。
警策けいさく警覚策励するための棒。
袈裟文庫けさぶんこ雲水が行脚中に携帯する荷物入れ。中には袈裟を入れ、その前に、持鉢、経本、カミソリを包んだ風呂敷づつみをゆわえつける。
偈頌げじゅ偈ともいう。漢詩の形体をとった法語のこと。
結跏趺坐けっかふざ結跏ともいう。坐禅のときの坐りかたの一。左右の趺(足の甲)を反対側の腿の上に交結して坐ること(単に片足を腿に安んずることを半跏趺坐という)。
結制けっせい安居の制を結成すること。
月台げったい大雄宝殿正面前に設けられた砂を敷いた広場のこと。法要を行う際の基壇で、白砂が一面に敷き詰められ、常に月光を受けるのでこの名がある。中国寺院の明朝様式の特徴の一つとされ、仏教の戒律と月を象徴する。 
羯磨けもう懺悔の法要を言う。仏教で言うところの懺悔は、キリスト教等の懺悔とは異なり、これまでに犯した罪を悔い改め反省するだけにとどまらず、さらには未来に向かっても同じ過ちを犯すことのないように止断する決意を持つ意味が込められていて、「懺悔(さんげ)」と濁らずに読む。
玄関げんかん言妙なる(仏)道に入る関門。転じて公案、禅門に入ること。
献具けんぐ法要に先立ち導師が、本尊に供物等を供える法式をいう。ご飯、お茶、上供の油揚、箸、香資、疏の順を原則とする。なお、献具を途中で行う場合があり、これを中献具という。
見解けんげ修行者が師家の室内で呈する自己の悟境の表現。公案への見方、解答でもある。簡潔な言葉や動作で示される。理論にわたらぬことが大切である。見処ともいう。
見性けんしょう自性(自己の本心)を徹見すること。自己の生死の問題、または祖師の公案を契機として頓悟すること。開悟ともいう。
現成げんじょう眼前にあらわれている、すべての存在のありのままのすがた。あらわれること。
検単けんたん師家または直日が堂内を一巡して、坐禅の様子を点検すること。
鉗鎚けんつい鉗は金ばさみ。鎚は金づち。いずれも鍛冶が鍛錬に用いる道具であるが、転じて、師家が修行者を鍛錬すること。
軒鉢けんぱつ一軒ずづ軒並みに托鉢をすること。
献飯料けんぱんりょう末寺が法系の宿院に納入する維持費のこと。宿院によっては献米料、献香料などと呼ぶところもある。
顕法けんぽう法を嗣ぐ師匠から付偈を受け、臨済正宗(黄檗宗)の正統な嗣法者であることが宗門で確認され、黄檗宗門下の僧侶として『黄檗宗鑑緑』に登録されることをいう。
御案内ごあんない大接心中などに、まだ解答を見出せない新参者を、無理矢理に参禅に駆り立てる荒療治のこと。
公案こうあん元来は公府の案牘という意、つまり国家の法令または判決文をさす。祖師の言行や機縁を選んで、天下の修行者の規範としたもので、全身心をあげて究明すべき問題のこと。修行の正邪を鑑別する規準でもある。公案中の緊要の一句を特に話頭ともいう。
更衣こうえ衣がえのこと。五月十五日には夏用の麻衣、十月十五日には冬用の木綿衣に衣がえする。
江湖ごうこ江は揚子江、湖は洞庭湖をさす。各地から来集した多数の雲水。全世界。全国。
講座こうざ師家が語録、公案などを説くこと。提唱ともいう。
香讃こうさん黄檗梵唄の法式構成のうえで欠かせない節経で、法要の最初に誦まれ仏祖の慧命を敬仰する意を表す。 その種類がいくつ有るかは定かではないが、今日残され常用されているものだけで約三十種類以上ある。
交代こうたい役位の交代をすること。安居ごとに役位がふりあてられる。
高単こうたん単の順位が高いこと。禅堂では掛搭した順に単(坐る場所)が与えられるので、すなわち古参の修行者の意となる。
降誕会ごうたんえ釈尊がお生まれになった日、四月八日に行なわれる法会のこと。
香盤こうばん坐禅する時間をはかるための線香を立てる香台のこと。直日がこの香盤を預り管理するので、直日のことを香盤辺という。
合米ごうまい托鉢で米を集めること。
告報こくほう役位よりの通達、または訓示。
己事究明こじきゅうめい一大事をきわめつくす。
古則こそく仏祖の言葉、行ないで修行者の手本になる法則。
五体投地ごたいとうち五体、すなわち両手両足および頭を地につけて仏を礼拝すること。
乞食行こつじきぎょう托鉢のこと。
小拝の間こはいのま東方丈内の甘露堂に最も近い一室の呼称。
五仏宝冠ごぶつほうかん施餓鬼法要で中座(導師)が金剛上師の役目を果たす際にかぶる宝冠。五仏、即ち五智如来(釈迦、阿閃、阿弥陀、大日、宝生の各如来)が描かれていることから、このように称する。
護法三居士ごほうさんこじ黄檗山万福寺開創時に、宗門興隆に貢献尽力した三人の民間人を尊称したもの。
・青木端山居士(重兼 摂津国麻田藩主、瑞聖寺、仏日寺、方廣寺)
・伊達肯山居士(綱村 陸奥国仙台藩主 大年寺、万寿寺開基)
・鍋島金粟居士(元武 肥前国小城藩主 星巌寺、玉毫寺開基 潮音道海禅師嗣法 金粟元明)
胡麻豆腐ごまごうふごまをすりつぶし、葛粉(または片栗粉)と酒等で練り上げ、豆腐状に固めたもの。通称「麻腐(まふ)」と呼ばれ普茶料理に欠かせない一品である。
後門ごもん禅堂の後入口のこと。二便往来など個人的に出入りする場合は後門を用いる。
後門辺ごもんへん侍者寮のこと。後門近くに坐るのでかくいわれる。
勤行ごんぎょう誦経すること。
金剛佛こんごうぶつ潮音道海禅師のことをいう。
昏鐘こんしょう日没を知らせる鐘。
菜器さいき漬けものを入れて供給する器。
西域木さいきぼく本山大雄宝殿等の建築に当たって将軍家から寄贈されたチーク材のこと
斉座さいざ寺院内における昼食のこと。
斎座さいざ昼食のこと。
斎堂さいどう黄檗山伽藍の一宇で食堂のこと。
在檗ざいばく本山である黄檗山万福寺に滞在している期間のことをいう。
斎佛儀さいぶつぎ三世一切の諸仏から六道に輪廻する全てのものに対して、斎食を供え供養する法要。 本山では大殿上供と称し、毎月1日と15日の10時半頃から厳修される。
坐具ざぐ仏祖を礼拝するとき、これをのべて敷き、その上で五体投地の礼拝をする。平常は折りたたんでおく。
坐香ざこう坐禅を行うこと。
坐香ざこう坐禅の時間をはかるのに用いる線香。
差定さじょう諸行事の次第や配役をきめること。また、その掲示のこと。
生飯さば食前に、少量の食をとって鬼界の衆生に施すこと。飯は七粒を、麺は一寸を過ぎずとし、饅または餅は手の爪位の大きさとする。右手の拇指と薬指とを用いて飯をとり、左掌の上で三巡して飯台の上に置いて供える。
座拝ざはい宗門では法要は中国様式で、立ったまま厳修するのが原則である。当然寺院の多くの本堂は本山の黄檗山同様に土間様式であり、それが畳が敷かれた本堂であったとしても同様に立って読経するのを慣習としている。当然のこととして、読経時の礼拝は、「展具拝」が通例である。とはいえ、庫裏本堂など畳敷きの狭い本堂内では、立っての読経はおろか、展具拝は物理的にも不可能であることが多く、やむなく正座をしたままで拝を実施することがあり、これを言う。
生飯器さばき飯台の上に置かれた生飯を取り集める器。
生飯台さばだい正式には出生台(「しゅっせいだい」、「すいさんだい」とも読む。)と呼び、餓鬼や鬼神に食料を供養するための石製の台のこと。何時の頃からか生飯台が通常呼称とされた。
作白さびゃく法要において表白文(ひょうはくぶん。疏ともいう。)を読み上げること。
作務さむ務めを作すの意で、禅林における労働のことをいう。
茶礼されい行事の前に、茶を喫しながら打ち合わせをすること。
茶礼されい儀礼として茶を飲むこと。朝夕二回の茶礼は点呼の意味もあり、この時に一日の行事や作務の割り振りが通達される。役位茶礼、衆評茶礼は会議の意味ももつ。
暫暇ざんかやむを得ない所用のために休みをもらうこと。通常、師親の大事以外は許可されない。二夜三日を越すものを暫暇という。
参究さんきゅう師の下に親しく参禅して一大事を究めること。
三汲池さんきゅういけ黄檗十二景の一。京阪黄檗駅より南へ約300mの所にあったとされ、隠元禅師が済物利生の意味をもって、これを広げ深くして干ばつを防ぎ放生をする池とされたと伝える。
懺悔経さんげきょう「八十八仏名経」、「慈悲水懺」、「観音懺法」が伝えられている。これらは、最初に「演浄儀」という法式で道場を浄め、次いで三宝に帰依する法式が勤められる。「八十八仏名経」では三十五仏で拝仏し、「慈悲水懺」では過去七仏で拝仏するのが特徴である。
懺悔の拝さんげのはい山内で犯した自己の過ちで他人に迷惑をかけた場合等に詫びをして廻ること。本山内での規矩は、戦前は非常に厳しく、特に開山堂における法要時の失敗などは、塔主寮へおもむき、謝りの拝をさせられたという。
三十三院さんじゅうさんいん本山塔頭で、以下の三十三所を言う。万寿院、聖林院、万松院、龍興院、宝蔵院、宝善庵、獅子林院、真光院、寿光院、天真院、別峰院、緑樹院、瑞光院、法林院、東林院、華蔵院、慈福院、紫雲院、長松院、慈照院(欠)、吸江庵(欠)、白雲庵(欠)、自得院(欠)、法苑院(欠)、大潜庵(欠)、龍華院(欠)、鳳陽院(欠)、崇寿院(欠)、華厳院(欠)、寿泉院(欠)、法恵院(欠)、漢松院(欠)、直指庵(欠)
三真言さんしんごん回向時に諷誦する三種の真言をいう。変食真言、甘露水真言、普供養真言の三種の真言。
参禅さんぜん師家の室に入って自己の見解を呈すること。入室参禅ともいう。
三叢林さんそうりん宗門開創期における黄檗派の三大修行道場を言う。両足山大年寺(仙台)、護国山東光寺(萩)、龍峰山興禅寺(鳥取)をいう。
三壇戒会さんだんかいえ正式呼称は、「黄檗宗三壇戒会」であるが、当初は「黄檗宗大乗戒壇」と称され、南山律に基づく戒法で、初壇は沙彌戒(三帰戒 五戒 八戒 沙彌十戒法)、次壇は比丘戒(二百五十戒法)、三壇は菩薩大戒(菩薩十重四十八軽戒法)を授けるものである。
三通打ち下ろしさんつううちおろし鐃鉢を打ち下ろす際は、香灯太鼓あるいは小鼓と合わせ、最初は大きくゆっくりと叩き、徐々にスピードを早め小刻みに叩いでいき、最後に打ち止めを行う。 これを一度だけで終えるのを「一通」といい、三回繰り返すのを「三通」と呼んでいる。
三通木魚さんつうもくぎょ大衆が読経を開始する際、合図として用いられる木魚のならしかた。読経の開始時は必ずこの「三通木魚」からスタートするが、この入り方が粗雑であると、法要全体の厳粛さを欠くこととなり、その速さ、強弱等一切をおろそかには出来ない。
参堂さんどう庭詰、旦過詰を済ませて僧堂に入ること。
三応さんのう師家の日常一切のことを世話する係。=隠侍
三応寮さんのうりょう三応の詰める役寮。=隠侍寮。
三拝さんぱい五体投地の拝を三度行うこと。今日では、問訊を三度行う場合も含めて言う。多くは仏法僧の三宝に拝をすることの意で用いられる。宗門では、典具三拝、即礼三拝などと三拝の方法も時、場所、目的によって使い分けている。
三筆さんぴつ宗門で三筆という場合は、黄檗三筆(隠木即ともいう。)のこと。ただし、書の世界では、「本朝三筆」(嵯峨天皇、弘法大師、橘逸勢)、「黄檗三筆」と区分けして言われている。
三仏忌さんぶっき釈尊の降誕会(お生まれになった日=四月八日)、成道会(お悟りを開かれた日=十二月八日)、涅槃会(亡くなられた日=二月十五日)のこと。
三宝讃諷経さんぽうさんふぎん宗門の在家回向法要時に霊前で諷誦する法式をいう。
三昧ざんまい公案工夫が熟し、深く禅定に入って、心身一如の状態になること。
三黙堂さんもくどう禅堂、食堂、浴室のこと。または、禅堂、浴室、東司のことをいう。この三カ所では語話談笑することが固く誡められている。
侍衣じえ衣鉢侍者の略。師家の衣服、資具、金銭を司る役。転じて、一派の管長の秘書役のこと。
知客しか僧堂に来る賓客の応接にあたる役。また、僧堂全体を取り締まる役。
持戒禅じかいぜん黄檗宗の禅風を端的に標榜した言葉であるが、むしろ黄檗宗祖・隠元禅師が教化のうえで最も強調されたことといったほうが至当であろう。宗祖は黄檗禅が正当の臨済禅であることを鼓吹され、殊に「三壇戒会 」や「放生」 を実施されるなど、戒律を重視する持戒の姿勢を事ある毎に強く打ち出された。また、「葷酒山門に入るを許さず」と記された「禁牌石(きんぱいせき)」を山門前に立て、目に見える形で持戒禅を標榜された。
知客寮しかりょう知客の詰める役寮。
直日じきじつ直は当と同義で、一日の幹事に当たる役を直日といい、もともとは一日交代で居舎、器具の営繕、一切の作務を掌る役の意。転じて現在では、禅堂内での坐禅の指導監督をする総取締りの役をいう。
直日単じきじつたん直日側の単。後門から入って右側の単をいう。
直指人心見性成仏じきしにんしん けんしょうじょうぶつ自己の心をまっすぐつかみ、自己の本性を徹見して悟ること。煩瑣な教学にとらわれないで、人間が本来持っている仏性を直ちに体得すること。
食堂じきどう食堂のこと。
四九日しくにち四と九のつく日。この日には剃髪をする。また開浴もこの日に行なわれる。
師家しけ伝灯の正師に嗣法した人で、参禅者の指導の任に当たる人をいう。
侍香じこう法式のときに住職に随侍して香合を持つ役。
誌公帽子しこもうす法会の際、公式出頭に住持、導師等がかぶる帽子の名称。唐帽子ともいう。
師資相承ししそうじょう師匠から弟子に法を伝えること。
侍者じしゃ本来は住持の世話、補佐をする役で隠侍と同じ意に用いられる。転じて、僧堂では堂内で、聖僧さんのお世話、堂内茶礼の世話、また病僧の世話などをする係のことをいう。
侍者寮じしゃりょう聖侍につかえる侍者のいる所。禅堂の世話役。
四聖ししょう万福寺山内の天王殿に祀られている「韋駄天」、伽藍堂に祀られている伽藍神(「華光蔵菩薩」のこと)、祖師堂に祀られている「達磨大師」、斎堂に祀られている「監斎緊那羅王菩薩」をいう。
止静しじょう坐禅のとき、大衆を寂静に止住せしめる時間。柝一声、引磐四声で止静に入るが、この間、身動きしてはならない。また、禅堂の出入りも一切許されない。
四聖諷経ししょうふぎん祝聖に於いて四聖を讃える諷経をすること。法式としては、監寺和尚が南無阿弥陀仏で経行し、前門敷居上の中央に置かれた香炉前の円座にまで進む。展具を見届けた維那は、拾い読みで四聖を称える陀羅尼を唱え、それぞれの結讃の諷経をする。監寺和尚は読経に添いながら、巡に四聖に向かって拝をする。
支度したく出頭、食事などのために禅堂を出る準備をすること。このときいわゆる「支度」の合図が鳴らされる。
七堂伽藍しちどうがらん仏殿、法堂、僧堂、庫裡、三門(山門)、浴室、東司のこと。
四朝国師しちょうこくし宗祖・隠元禅師は、四朝廷から国師号の謚号を受けられていることからこのように尊称されている。また、大正 6(1917)年 3月 7日に、大正天皇から 『真空大師』号が勅賜、昭和47(1972)年 3月27日には昭和天皇から『華光大師』号が加賜されている。
紙牌しはい要をするにあたって、仏教思想をわかりやすく表象するため、紙製の小さな旗を造り、シンボライズした説明を書き入れたもの。これを紙牌と呼び、主に施餓鬼法要等で用いる。
持鉢じはつ各自の所持する食器。正しくは応量器という。五枚一組で重ね合わせて収納できるようになっている。
自平石じへいせき隠元禅師にまつわる逸話の一つで、禅師45才の年、獅子巌で修行をされていた舟形の石が平らになったという逸話。
嗣法しほう師匠から仏法をうけつぐこと。
慈愍会じみんえ隠元禅師の誕生日である11月4日を記念し、森羅万象、万物全てを慈しみ感謝する法要。ところで、「慈愍」とは、授戒法要に多出する「慈愍故(慈愍したまう故なり)」の語句を連想する。慈愍忌と呼ぶこともあるが、「忌」は亡くなられた日をもとに使う言葉のため、誕生日であるこの慈愍会は「会」と呼ぶ。
著語じゃくご禅録の本則や頌などの句に、後世の禅僧によってつけ加えられた短評、コメントのこと。
叉手当胸しゃしゅとうきょう左手を外側にして左右の掌を重ね、右手をもって胸を掩うようにする。手を胸からやや離して、ひじを水平に張る。
謝労じゃろう慰労のこと。
上供しゃんこん仏前への供物をいう。広い場所では六味の供物を、狭い場所では四味の供物を供える。六味の場合は、本尊に向かって右から青色、黄色、油揚げ(または飛竜頭)、赤色、白色、黒色の野菜、乾物等を並べる。供え物は生物、乾物を三つずつとすることを慣わしとするほか、油揚げは必ず香炉の右と定められている。飾り付けも美観に配慮した独特なもので、竹串にさして縦向けに飾り付けることから「縦上供」と呼ばれている。
上首先行じゃんしゅせんひん宗門においては伝統的に行列の組み方についてはやかましいが、その雁行する際の並びかたの呼称の一つがこれ。 法要に出向く際、法階の上位者を先頭に進むことを言う。 今日でも唐韻で呼ばれる。
上香じゃんひゃん法要時等、仏前に火をつけた線香をあげる所作、あるいは、請拝した尊宿、布教師等に敬意を表して線香を持参し、出馬を願う作法。
汁器じゅうき汁を入れて供給する器。
十八羅漢じゅうはちらかん羅漢は本来1人であったものが16人に拡大され、何時の頃からか十六羅漢として流布するようになる。黄檗山の場合はさらに慶友尊者と賓頭盧尊者の二体を加え、18体あり、この点で通常と異なる。 
衆評しゅうひょう僧堂の運営などについて役位が集まって打ち合わせをすること。
集米しゅうまい托鉢で米を集めること。=合米
宗紋しゅうもん黄檗宗の紋所は、「三葵」(ただし裏葵)とされている。
手巾しゅきん雲水が衣の上から腰のあたりに締める紐のこと。
宿院しゅくいん末寺から見た場合の自分の法系に当たる塔頭の呼称。
粥座しゅくざ禅宗寺院内における朝食のこと。
粥座しゅくざ朝食のこと。
祝聖しゅくしん聖寿(国王の寿命)無窮を祝祷すること。 毎月1日、15日の朝、勤行に先立ち、仏殿に於いて国家の昌平を祝い、国王の平安を祈る祈願の読経。 中国・南宋末時代から始まる。
祝聖しゅくしん毎月一日と十五日に天皇の聖寿無窮を祝祷すること。
祝拝しゅくはい毎朔望日、大祭日等に堂頭和尚はじめ、両序、禅堂等、山内の僧が法衣、法服を着用して、聯灯堂、開山堂、方丈等に上り、お祝いの典具三拝をして廻ること。
受業寺じゅごうじ師について出家者としての資格を得た寺のこと。
主懺しゅさん遶仏(繞仏とも書く。)、観音懺法等の法要時の導師をいう。
出格材しゅっかくざい万福寺の大雄宝殿および禅堂に使用されているチーク材の別称。この名称について、当のチーク材は、オランダ人が台湾において築城するための用材として調達されたものであったところ、運搬船が難破し、これを入手した貿易商・勝 性印が寄進をしたという不思議な因縁を経て万福寺に寄進されたことから、隠元禅師はこのように名付けられたという。
祝国開堂しゅっこくかいどう禅宗寺院に於いて、新たに晋山した僧が、法堂を開いて国家の安寧、聖寿無窮を祝祷し演法する行事。 
十師の拝じゅっし授戒開始時に、堂頭和尚が諸阿闍梨(得戒師、革磨師、教授師、尊證師七位の計十位)と共に入壇し、戒壇仏祖に向かって献香、展具三拝をすること。
出頭しゅっとう行事・儀式などで本堂に出席すること。
守夜しゅや開枕時の夜回りのこと。守夜当番が守夜神の真言を唱え、大柝木を叩き火の用心と戸締り点検のために堂外を一巡する。
巡警じゅんけい巡堂警省のこと。坐禅の時、居眠りまたは懈怠(不熱心)の僧を戒めるために、警策を持って禅堂内を巡回すること。
小憩しょうけいひと休み。
相見しょうけん師家に面接すること。
照顧脚下しょうこきゃっか足もとに気を付けよ。日常の作法を規定どおりに正しく行なえの意。
聖侍しょうじ禅堂に祀られている文殊菩薩の世話係。また堂内大衆の世話係。=侍者(じしゃ)。
常住じょうじゅう坐禅専一の禅堂(堂内)に対して、庫裡にあって応接・会計・炊事等の運営面を処理する各寮をいう。
精進しょうじん努め励むこと。
聖僧しょうそう禅堂の中央にまつる像。通常、文殊菩薩を安置する。文殊は般若の智、さとりを象徴する。
上堂じょうどう師家が法堂に上って修行者に説法する。
成道会じょうどうえ12月8日、釈尊がお悟りを開かれた日に行なわれる儀式。
商量しょうりょう商も量も「はかる」という意味で、協議する、くらべはかる意になる。転じて師家と修行者との間で問答応酬して人生の一大事を明らめること。
初関しょかん一番最初に与えられる公案のこと。
書見しょけん書物を読むこと。
除策じょさく警策の使用が免除される休日のこと。通常、三仏忌、盆正月、祝日などに除策となる。
清規しんぎ清僧のための規矩の略。禅堂で衆僧が守るべき規則のこと。
嚫金しんきん布施。檀信徒から施されるお金のこと。
晋山しんざん新しい住持が初めて寺院に入ること。=入院。
新到しんとう新しく僧堂に入門してきた僧。新米のこと。
振鈴しんれい起床の時刻を知らせるのに用いる鈴。
垂誡すいかい師家の訓示。
随喜ずいき他人が功徳を積むのを見て、我がことのように喜ぶこと。転じて、賛成・助力、尽力などの意に用いる。随喜参加する…など。
随意座ずいざ堂内で直日の指導によらず、随意に坐禅すること。
水燈会すいとうえ戦前の黄檗山恒例事業として、宇治川で実施されていた川施餓鬼のこと。
随飯ずいはん規矩に則らずに、随時にとる食事のこと。 随意飯の略称。
随意飯ずいはん看頭、飯台看を立てない略式の飯台座(食事)のこと。
随意浴ずいよく正式な作法によらずに開浴すること。
誦経ずきょう看経ともいう。経典を唱和すること。経の内容を理解することよりも、余念をまじえず一心不乱に唱和することによって、心身一如をはかる。坐禅の助道、方便である。
頭陀袋ずだぶくろ頭陀行(乞食)のとき物を入れるために首から下げる袋。
制間せいかん結制と結制との間の休みのこと。
制中せいちゅう安居の期間をいう。今日では雨安居、雪安居の二期になっている。この期間外を制間という。
施餓鬼会せがきえ悪道に堕ちて飢餓に苦しんでいる衆生や餓鬼に食物を施す法会。=水陸会
摂心せっしん接心とも書く。心を内に摂めて散乱させないこと。禅宗では一定の期間中、集中的に坐禅すること。普通、僧堂では摂心は七日間とする。
禅堂ぜんどう坐禅、睡眠を行なう道場。狭義の僧堂と同じ意味。
洗鉢せんぱつ食事が終わって鉢を洗うこと。
専門道場せんもんどうじょう坐禅修行を専門に行なう場所。=僧堂、禅堂、叢林
禅林課誦ぜんりんかじゅ門で用いる勤行用経本。 雲棲袾宏禅師(蓮池大師、1535~1615)が万暦28(1600)年に編集した「諸経日課(誦)」が原型になっているというのが通説になっている。
総茶礼そうざれい雲水が一同に会して茶礼を行なうこと。
総参そうさん摂心中の参禅に独参と総参の二種あって、独参は見解があれば随意に入室する。総参は見解の有無に関わらず義務的に入室せねばならない。
僧堂そうどう禅門における修行の根本道場のこと。
叢林そうりん僧堂のこと。樹と樹が叢り、相競って天に伸びんとするように、修行者が互いに切磋琢磨するところから、かくいう。禅林ともいう。
即非蓮そくひれん即非如一禅師がもたらしたとされることから名付けられた蓮の一種。
即禮拝そくれいはい即(または速、觸)礼の即(速、觸)には速やかにとの意味があり、その場で直ちに行う拝のことをいう。
尊宿そんしゅく長老、高僧。
大根鉢だいこんはつ僧堂で漬物に用いる大根を托鉢して歩くこと。
大衆だいしゅ禅堂にとどまって修行している僧たちのこと。
柝木たく拍子木のこと。大小二種あって小柝木は禅堂内あるいは飯台座で用いられ、大柝木は禅堂外で用いられる。例えば、薬石の用意ができた時、開浴の時、守夜の時等。
托鉢たくはつ雲水が鉢を携えて、市中に食を乞うて歩く修行。
打坐たざ坐ること。坐禅。
塔頭たっちゅう本来は、禅院内に設けられた高僧の墓所のことをいう。のち転じて大本山などの大寺院内にある独立寺院のことを指す。
たん禅堂において各自が坐る座席のこと。単位ともいう。「坐って半畳、寝て一畳」といわれるように、畳一枚の場所が生活の場となる。
旦過詰たんがづめ専門道場に入門を志願する僧は、すぐに玄関から上がることは許されず、三日間ほど、朝から晩まで大玄関の上がり口で低頭して入門を請わなければならない(庭詰)。この庭詰を終わって初めて旦過寮に上がることを許されるが、ここでさらに、五日間ほど面壁して詰めなくてはならない。
旦過寮たんがりょう旦過詰をする部屋。本来、諸方遊歴の修行者が禅院に一夜投宿する部屋のこと。夕方に到着して、朝(旦)に去るのでこの名がある。
単頭たんとう直日単に向かう単の上座に坐り、指導監督にあたる役。
単頭単たんとうたん直日単に対し、単頭の座のある側の単。後門より入って左側の単。
単票たんぴょう禅堂内の自分の坐る単の上方にかけられた名札。
単蒲団たんぶとん禅堂内で坐禅および夜具として用いる蒲団。柏餅のようにくるまって寝るところから「柏蒲団」ともいう。
中和井ちゅうわせい開山堂付近は元、後水尾法皇のご生母、中和門院の隠棲された屋敷跡で、大和田御殿と称されていたところである。 後、近衛家の所領となっていたが、黄檗山が建立されることとなり、喜捨された。隠元禅師は、宮跡の遺された井戸を修理され、「中和井」と名付けられた。  
朝課ちょうか朝の読経、諷経のこと。
頂相ちんそう禅僧の上半身を描いた画像。古来、これに賛、法語を書いて弟子に嗣法の証拠として与えた。
通玄門つうげんもん開山堂に通じる正門。 中国様式の建築法により建設された門。
提唱ていしょう禅宗の宗匠が、修行者に向かって、祖師の語録や古則中より宗要(宗旨)を提起し唱導すること。講座と同義であるが、より専門的な用語。
提撕ていぜい是も撕もともに「ひっさげる」の意。師家が修行者を指導し、誘引すること。また工夫参究するの意にも用いられる。
提灯ていちん手さげあかり。ちょうちんのこと。
低頭ていとう仏祖・師家に対して、額を地につけて礼拝すること
天井粥てんじょうがゆ朝食に出される粥のこと。時として極端に薄く、水っぽく、天井が映るところからこの名がある。目玉粥ともいう。
殿司でんす仏殿のことを司る役。また、時報を司る役。僧堂では、開静の振鈴、朝課、またその他の法式を司る。
殿司寮でんすりょう殿司の詰める役寮。
典座てんぞ炊事を掌る役。
典座寮てんぞりょう典座の詰める役寮。
展鉢てんぱつ食事のとき、布に包んだ持鉢をひろげること。
唐韻とういん日では「黄檗宗で用いる昔の中国音」の意で使用され、宗門では今でも多くの言葉を使用している。ただし、黄檗宗に伝わった中国音は、明末期に福建省で使用されていた福建語(閩南語(びんなんご))、あるいは南京官話(明代から清代にかけて官吏が使った共通語。華南広州辺りの方言。)とされている。
湯器とうきお湯または茶を入れて供給する器。やかん。
同夏どうげ同じ夏に入門した同寮どうしのこと。
銅磬どうけい一般に磬子(けいす)と称される、法要で使用する鳴り物法具。 
同参どうさん一人の師家の下で、ともに学び修行する者同志。
冬至当夜とうじとうや毎年12月22日の冬至の夜は、臘八の厳しい修行を終えた、修行僧(雲水)たちのお祝いの日とされている。
役宿とうしゅく行脚の僧が寺院に一夜の宿泊をすること。
東司とうす厠・便所のこと。七堂伽藍の一つに数えられる。
塔前の拝とうぜんのはい年忌等の法要時、本来は石塔(墓碑)へも礼拝すべきであるが、天候やその他の事情でゆくことが不可能な場合は、法要が一旦終了した後、その場所で知客等の「塔前の拝」の発声により改めて展具三拝することをいう。
堂内どうない禅堂内のこと。また禅堂内において、専ら坐禅修行をする雲水のこと。
登檗とうばく黄檗山萬福寺へ登ることをいう。
豆腐羹とうふかん中国風豆腐。日本の豆腐よりさらに水分を抜き、固めたもの。隠元禅師来朝と共に伝来し、一般に黄檗豆腐といわれる。ごま豆腐とはまったく別ものである。黄檗山の普茶料理には必ず使用されている。
冬夜とうや冬至の前夜のことで、冬至冬夜ともいう。臘八後のこの晩は、普段厳禁の薬水(酒)も許され、破天荒な「無礼講」が行なわれる慣わしである。
独参どくさん公案に対する見解をもって単独で師家に面接すること。
得度とくど出家すること。
戸帳とちょう黄檗山大雄宝殿および禅堂の正面入り口に吊り下げられた映画スクリーン状の大きな幕(白い布の周りを黒い布で縁取りしてある)のこと。中国では暖簾(ヌァンレン)と呼ばれ、日本の「のれん」の原型となったもので、扉代わりに用いられている。宗門系の寺院でも、黄檗山以外には見かけない。
那伽定なかじょう那伽とは梵語で、龍のことを言う。龍は常に静止して思念をするということから、龍像(禅門では僧のことをこう呼ぶ。)が禅定する様をこれにたとえ、「那伽大定」と呼ぶ。 転じて、檗僧が遷化に際し、霊龕を荘厳する場をいい、「那伽定」と大書した紙を、霊龕を安置する鴨居に貼付するのが慣わしとなっている。
中太鼓なかだいこ黄檗宗の読経法式は、香讃、読経、結讃を基本とする。この中で、梵唄(節経)と称される鳴り物が入る部分はほとんどが最初と最後の部分であるが、読経の中程で、梵唄が入るときがある。 この時に打たれる太鼓のことを中太鼓と称する。
中単なかたん修行年限の長い方から順に、高単、中単、末単という。
南無阿弥陀仏なむおみとふ宗門では六字名号を唐韻で唱え、行堂するのが慣習となっている。
二祖三仏忌にそさんぶつき宗門のみならず、禅宗にとって重要な祖師を祀るための法要を言う。 黄檗清規・報本章に記されている。二祖とは禅宗祖師である菩提達磨と禅宗叢林の基礎を開いた百丈懐海を指す。三仏忌とは釈尊の生誕、成道、涅槃をお祝いする法要のことである。
入室にっしつ修行者たちが師家の室に入り、師の指導鍛練をうけること。=入室参禅
日天作務にってんざむ毎日行なわれる寺院内外の清掃のこと。
二便往来にべんおうらい二便(大小便)のために禅堂を出ること。抽解中に許される。
二夜三日にやさんじつ新旧役寮の交代が終わって、旧常住員たちに与えられる慰労休暇のこと。二泊三日の外出が許される。
入制にゅうせい安居(学期)に入ること。
遶仏にょうぶつ法要の名称。八十八仏を讃え、仏の周囲を囲繞するように、堂内を練り歩くことからこの名がある。
如法にょほう定められた法規に合った形で動作すること。
庭詰にわづめ修行者が僧堂に入門する時に、必ず通過しなければならない検問。庫裡の大玄関で終日低頭し、入門の願いを乞わなければならない。通常、二日から三日行なわれる。
涅槃会ねはんえ二月十五日、釈尊が亡くなられた日に行なわれる儀式。
涅槃金ねはんきん僧が行脚に出るとき、病気や不慮の死によって他人に迷惑をかけないため、予め袈裟文庫の中に入れておく若干の金銭。葬式をするための金。
練り返しねりかえし制中の大摂心の後に行なわれる一週間の平常接心のこと。大接心中の不備を補う目的で行なわれる。
念経ねんきん読経のことをいい、唐僧がよく使った。 今では広く勤行をすることをもいう。
拈提ねんてい古則公案を提起して修行者に示すこと。またそれを工夫参究すること。
拝懺ぱいさん正月および中元の三日間、あるいは授戒時に、道場を清浄にしてから八十八佛名を称して、一仏毎に梵香礼拝して懺悔する法要。
唄讃ぱいさん梵唄を諷誦することをいう。
拝敷はいしき住職が礼拝を行なうときに用いる敷物のこと。
拝請はいしょう礼拝懇請の略。師家や長上の僧を迎えること。
拝席はいせき導師が展具拝を行うために設けられた席。
拝太鼓はいだいこ法要を始める際、本尊に向かって経衆が一斉に三拝をする時の合図に打ち鳴らす太鼓のことをいう。
梅湯ばいとう梅干しを煮出して、甘味を加えたもの。
梅湯茶礼ばいとうざれい朝の一番、朝課、堂内諷経の終わった後、堂内で行なわれる。
拝班ぱいぱん法要終了前後に、衆僧が相互に慰敬の拝を交わすことで、黄檗宗独特の作法である。引磬の合図で上位、下位、正面に向かって三度感謝の問訊をする。引磬二声の場合は、そのまま上位先行(上首先行)で他の堂宇または方丈へ向かう合図となる。
拝票はいひょう儀袋の上に貼り付ける名前等を記した札のこと。
報鐘ぱうちょん山内における法要時の合図は、大鐘、半鐘、あるいは雲版等を鳴らし、また時には太鼓を交えて報ずる。つまり、この合図の鐘類の音を総称して「報鐘」と言うが、今日では主として半鐘の合図のことをいう。なお宗門では「報鐘」を敲くことを「刻む(きざむ)」という。
檗僧ばくそう黄檗宗の僧籍を持つ僧のこと
檗門ばくもん黄檗宗門のこと。 これに対して、臨済宗を「済門下(さいもんか)」と称した。
檗林ばくりん黄檗叢林の意。
把住はじゅうひっつかまえて、ぴたりとおさえこむこと。師家が修行者を指導する手段の一つ。転じて、僧堂の経理における「収入」のこともいう。
把針灸治はしんきゅうじ衣服のつくろいをしたり、身体の治療を行なったりすること。摂心の始まる前日に与えられる身心整備の日のこと。
派祖忌はそき黄檗山各塔頭開山忌のこと。
鉢回向はちえこう施餓鬼や大般若転読会等の法要時、最終盤に行われる黄檗宗独特の梵唄法式のことで、特に鐃鉢が重要な役割を果たすところからこの名が付けられている。
鈸子ばっす単にバツとも言う。 仏殿太鼓の四本柱角に置かれた、繞鉢に似た小型のシンバル様の鳴り物。
跋陀婆羅菩薩ばっだばらぼさつ入浴せんとして悟りを開いたといわれる菩薩。そのため僧堂では浴室に祀られている。
末単ばったん単の一番下座の方。すなわち、そこに坐る新参のことをいう。
法堂はっとう法堂は、禅宗に於いては最も重要な建物で、説法の道場である。 黄檗山の法堂は、酒井忠勝(空印居士)の遺命により寄進、建立されたもので、当初は「円通殿」と称されていた。
法堂はっとう七堂伽藍の一つ。住持が仏にかわって説法する場所。一般の禅寺での本堂に当たる。
はん禅堂の前門に下げられ、日に数度、時を知らせるために打たれる。
晩課ばんか夕刻の読経、諷経のこと。
半跏趺坐はんかふざ半跏ともいう。坐禅法の一。
飯器ばんき飯を入れて供給する器。おひつのこと。
飯台はんだい食事に用いる台。
飯台看はんだいかん食事の給仕当番。
泮池はんち本山放生池の別称。泮池は、池の形状からの呼称。
飯子はんつーご飯のこと。
飯幡はんばん「唵唖吽」と記した五色の幡のこと。 箸に付け、施餓鬼の序盤で餓鬼壇に備えた白飯にさし、餓鬼衆にこの箸で施食を受けることを促す。 この飯幡が付けられた箸で施食を受けた餓鬼衆に、三宝に帰依し、成仏するとされている。
引手ひきて托鉢などのときの指導者。
緋沓ひぐつ正式な法衣を着用する時の唐様沓(靴)で、和尚分上の僧のみが履くことを許されている。
毘尼壇びにだん授戒時に引請阿闍梨等の役位が坐る壇をいう。
評席ひょうせき長年の修行を積んだ古参の修行者をいう。またこの中から、知客、副司、直日、聖侍の役が選ばれるので役位とも同義に用いられる。
病僧寮びょうそうりょう病を得た修行者が療養するところ。=延寿寮
瓢箪懸魚ひょうたんけぎょ懸魚とは神社仏閣の屋根に取り付けた妻飾りのことである。黄檗様式の建築の特徴として挙げられるものに、この懸魚部分の瓢箪型くり抜きがある。
毘盧壇びるだん施餓鬼法要に於いて設置する位牌壇のこと。
行堂ひんたん・知客、典座と連絡を取り合って準備、役職を司る役職。
・普茶料理等の食事時に使用する飯器、汁器。
兄弟ひんでい同一の師家の下で修行した、法の上の兄弟のこと。
副司ふうす元来、住職を補佐する役職(=副寺)。僧堂では、会計を司る役職も指す。現在は、知客が副司を兼ねることが多い。
副司寮ふうすりょう副司のいる役寮。
伏拝ふくはい宣疏中、あるいは読経中等の法要時に、霊前または相手に対し、畏敬の念を表し、座具を述べて低頭拝を行うことをいう。
扶座香ふざひゃん施餓鬼法要時に、扶座が不足する時、扶座の一人が香灯士を兼ねることを言う。
普請ふしん衆僧がそろって勤労すること。
副随ふずい庶務係。作務、集米の予定や割りふり、接待、貼案などを行なう。
副随寮ふずいりょう副随のいる役寮。
仏性ぶっしょう生命あるものが生まれながらにして持っている仏としての本性。
仏餉ぶっしょう仏前に供える米飯。仏飯。
仏殿幡ぶつでんばた七如来幡のこと。
普度勝会ふどしょうえ在日華僑が盂蘭盆会に実施する先祖供養のための施餓鬼法要。 福建省では、盂蘭盆会のことを「普度勝会」または「普渡勝会」とよぶのが一般的である。
普度帳ふどちょう施餓鬼法要に際して、参詣者からの回向のための施行内容を記した帳面のこと。
不立文字 教外別伝ふりゅうもんじ きょうげべつでん文字、言説を立てず、文字言説による教説の外に、別に直ちに心から心に(以心伝心)仏祖の悟りを伝える。
分散ぶんさん一会終了して修行者一同が分かれ去ること。
分衛ぶんねい托鉢のこと。
弁事べんじ私用で外出を許されること。通常、二夜三日以内をいう。
放行ほうぎょう師家が修行者を指導する手段の一つ。一切を許し与えて、自由に任すこと。転じて、僧堂内の経理における「支出」のこともいう。
飽参ほうさん充分に会得すること。悟りを開いて参ずる必要のなくなること。
放参日ほうさんび入室参禅のない日のこと。
方丈ほうじょう維摩居士が一丈四方の部屋に住んでいたという故事から転じて、寺院の住職の居室をいう。さらに転じて寺の本堂を指す。また、住職のこともいう。
傍門ぼうもん大雄宝殿にはいくつかの入り口があり、それぞれに名称がつけられている。 この内、正面中央の両側、あるいは両側面の全部につけられた入り口を傍門と称する。
法臘ほうろう出家してからの年数。
菩提ぼだいさとり。さとりの智慧。さとりの境地。また俗に冥福の意にも用いる。
法鼓ほっく法要、提唱などの出頭の合図として用いられる。
法戦ほっせん師家と修行者が問答するさまを戦いになぞらえてかくいう。
梵壇石ぼんだんせき月台の中央に置かれた長方形の石。 戒を犯した僧を置いて無言の懲罰を与えるために用いる。 罰跪香頂石ともいう。
梵唄ぼんぱい黄檗宗に伝承されている鳴り物の法具を効果的に用いた独自の声明。誦経の全ては唐韻読みで、かつ鳴り物法具のテンポに合わせて読誦する中国情緒豊かな読経形態である。
本飯ほんぱん規矩に則った、食事作法のこと。
本飯ほんぱん正式の食事作法による食事のこと。
本浴ほんよく正式な作法にしたがって風呂に入ること。
摩伽羅まから摩竭魚とも書く。魔除けとして黄檗山総門の屋根に乗せられた想像上の動物。 鯱に似ているが鰭(ひれ)の代わりに足が生えており、インド辺りにその原型が求められるという。女神の乗り物として喩えられた、ガンジス川に棲息するワニだと言われている。
卍崩し勾欄まんじくずしこうらん黄檗山の勾欄(手すり)や半扉には卍の模様が組み込まれているが、これが異国風の雰囲気を倍加している。この装飾は法隆寺の堂塔以来、他に類例を見なかったもので、黄檗独特の装飾とも言われている。
曼拏囉まんなら施餓鬼法要の際に、須彌盛りの段で用いる宝鏡のこと。
三具足みつぐそく仏前に配置される、香炉・花瓶・燭台の三種類をいう。花瓶・燭台が各一対と香炉一口の五つを五具足という。
蜜湯みっとう梅干しの果肉をほぐし砂糖を入れ煮たお湯。 疲れを癒し、喉を潤す作用があることから、施餓鬼や授戒法要等の長時間法要時、あるいは茶礼時に伝統的に利用されている。
向扶座むこうふざ施餓鬼の法座に着席する僧侶のうち、東単側最上席者(即ち、大趺坐の正面)を言う。
鳴磬三拝めいきんさんぱい導師や尊宿が出班焼香時等に、磬子を合図に展具拝を行うことをいう。
名単めいたん法要に当たって作成する随喜僧侶の役位分担を記した表。
免礼めんれい祝拝時に、宿院へ伺うことを免除されることを言う。
亡者戒もうじゃかい授戒を受けたいのに受けられずに故人となってしまった人(亡者)のために、授戒を行うことをいう。
帽子もうす中国風帽子のことで、誌公帽子が正式名称である。 唐韻で「マオツ」とも、唐帽子とも言う。
帽子もうす僧が法式のときに着用する帽子のこと。
黙照禅もくしょうぜん曹洞系の只管打坐の禅風を称してかくいう。
木祖忌もくそき木庵性瑫禅師の祥忌を言う。
木板もくはん=板(はん)を参照。
桃戸ももど黄檗宗の建築物に多く用いられている正面入り口の観音開きの半扉。桃の彫刻が施されていることから、この名がある。なぜ桃の図柄が彫られているかについて、中国では桃が『桃符(タオフー)』といって魔除けによく使われていることから魔除け説が有力であるが、招福説もあり判然としない。
文殊菩薩もんじゅぼさつ禅堂内に祀られる。通常、聖僧という。
問訊もんじん掌を合わせ、体を曲げて礼拝すること。
門送もんそう禅門での送迎の礼式のひとつ。客を門の外まで出て見送ること。
門牌もんばい法要開催の道場であることを示すために、一枚一字あての文字を書き入れた紙製で作られた幡風の標識。
薬石やくせき夕食のこと。 中国では昔、禅僧は朝、昼の二食生活を行っていたが、いつの頃からか「薬」代わりと称して夕刻に食事をする習慣が出来、この名称が使われ出したと言われる。
薬石やくせき薬はくすり。石は石で作った針のこと。転じて薬剤の総称、あるいは病気の治療をいう。仏門では、正午を過ぎてから食事をとることを許さなかったので、修行者の飢えをいやして修行を成就させるための薬として夕食をとった。したがって禅門では夕食のことを薬石という。
野狐禅やこぜん真の悟境に達していないのに自ら得法の禅者のようにふるまう似而非禅のことをいう。
夜坐やざ開枕後、ひそかに禅堂を出て、樹下、石上等で自発的に坐禅すること。
山鹿流陣太鼓やまがりゅうじんだいこ儒学者であった山鹿素行は、隠元禅師と面談し、また木庵禅師に参禅したことがある。黄檗山に於いて、かつて聞いたことのない「七五三の刻み打ち」 の開枕太鼓を聞き、この打ち方を陣太鼓に取り入れればきっと志気を鼓舞できるに違いないと考え考案したのが「山鹿流陣太鼓」だと伝えられている。 ただし、根拠立てるものはない。
唯心の浄土 己身の弥陀ゆいしんのじょうど こしんのみだ黄檗宗・宗制第一章第五条・教義の段に出てくる言葉で、「本宗は参禅を以って仏心を究明し、唯心の浄土、己身の阿弥陀仏を体得し禅教一如により転迷開悟 安心立命を期するを教義とする。」とある。
瑜伽焔口科範ゆがえんこうかはん宗門の施餓鬼法要で用いる経本名。 雲棲袾宏(うんせいしゆこう)禅師が著述した上下二巻からなる経本で、口に咒を唱え、手に印を結び、心を観相する顕密両具の法式となっている。
浴頭よくじゅう浴室の当番。
絡子らくす両肩をとおして胸に掛ける小型の袈裟。掛絡ともいう
立拝りっぱい起立合掌し、低頭する挨拶方法。 袈裟を着用するときは、座具を両手親指と人差し指の間にかけ合掌低頭し、三拝ないし一拝する。 改良衣等、略衣の時は、親指と人差し指の間に朱扇を挟み礼拝する。
龍象りゅうぞうすぐれた力量の修行者のこと。
龍目井りゅうもくせい檗十二景の一。 黄檗山総門前広場にある左右二カ所の井戸のこと。 寛文元(1661)年冬、隠元禅師が掘られた井戸で、自らこれを「山に宗あり水に源あり 龍に眼あり 古に耀き今に騰る 雲を興し雨を致して 以て民時に及ぼす 源頭澄徹 昼夜 間を靡し 以て民の用とするに足る故に名く」と記されている。 
隣単りんたん隣の単に座る修行者のこと。
輪流十三院りんるじゅうさん隠元禅師没後の寛文13(1673)年、法孫が議定し、禅師の隠居所である松隠堂(「別院」、当初「開山塔院」とも称されていた。)は、塔頭の内から特定の塔頭十三院が輪番制で管理することを決定した。 この塔頭名を総称してこう呼ぶ。 「輪中十三院」と呼ぶこともある。十三院とは、瑞光院、萬松院、東林庵、華蔵院、漢松院、法苑院、慈福院、法林院、紫雲院、宝蔵院、景福院、華厳院、宝善庵の十三院をいい、万寿院と獅子林院は特別扱いされ、当初から除外されていた。
琉璃燈るりとう六角形をした中国製吊灯籠。周りを薄地の絹や繻子、絽を張った木枠で囲み、灯具本体が消えないように瑠璃製の覆いで覆っているのでこの名がある。 常時吊り下げ式の固定型と必要の都度、随時組立る移動型とがある。
列班れっぱん法要時等、雁行する際に、法階順に東序、西序別(両序)の二列に並ぶこと。
老師ろうし師家に対する尊称。親しく教えを受けた者は、老漢と呼ぶこともある。
臘八ろうはつ臘は歳末の意。すなわち十二月八日、釈尊成道の日のこと。また、十二月一日から八日まで行なわれる臘八大摂心の略称。
六扶座ろくふざ施餓鬼法要に於ける導師を補佐する6人の役僧をいう。 即ち、大扶座(維那)、向扶座、相扶座(悦衆)、相扶座(副悦)の四扶座に繞鉢2名を加えた6人を言う。
椀頭わんず食器の出し入れを管理する係
黄檗わんぺぇ「黄檗」の唐韻読み。