【レポート】令和元年9月声明公演「黄檗宗大本山 萬福寺の梵唄」
出演してまいりました!国立劇場、大ホール。大変貴重な機会をいただき、出演させていただくことになりました。これでもかと黄檗の魅力を詰め込んだ、特別版での公演となりました。少しばかりこちらで報告をさせていただければと思います。
これがかの有名な「楽屋」というものか!
このような大々的な催し物に参加したことなどいままでなく、しかも出演となれば、それまた一大事です。裏口から入るなんてのもまた貴重な経験。さて、「楽屋」へ・・・!
- いよいよ、国立劇場デビューのときです。リハーサルのため前日入りですが、どきどき。
- 国立劇場は大ホールと小ホールがあり、今回の公演は大ホールです。なので、楽屋入り口をはいると二手に分かれています。
- ここを入ると出演者のみぞ知る領域です。このあたりから緊張感が増してきます。
- そして、中に入ると目の前にはなんと稲荷神社が祀られていました!思わずお参り。ここで数多くの舞台俳優の方などの出演者の方々が盛会を祈っているのでしょうか。
- (当日もれなく、お坊さんたちが盛会を祈って神頼みをしました・・・!)
舞台の設営を間近でみながら、本番同様にリハーサル。この舞台から眺める客席は圧巻。そして、ここに多くの観客が詰め寄ると考えるとますます緊張が増して来ます。とにかく、「場馴れ」と思い当日のリハーサルを行い、最後の練習を行いました。
当日のプログラム
朝課(ちょうか)
巡照(じゅんしょう)
出頭半鐘(しゅっとうはんしょう)
拝太鼓(はいだいこ)
三通木魚(さんつうもくぎょ)
千手千眼無礙大悲陀羅尼(せんじゅせんげんむげだいひだらに)
十咒(じっしゅう)
般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみたしんぎょう)
中太鼓(なかだいこ)
祝韋駄儀(しゅくいだぎ)
清晨普願偈(しんしんふがんげ)
三帰依文(さんきえもん)
拝班(ぱいぱん)
施餓鬼
三通木魚(さんつうもくぎょ) 僧寶讃(そうほうさん) 念佛(ねんぶつ) 洒水(しゃすい) 禮佛(らいぶつ) 十指黙念(じっしもくねん) 大悲咒(だいひしゅう) 真言(しんごん) 金剛杵偈(こんごうしょげ) 十二因縁咒(じゅうにいんねんしゅう) 寶冠陀羅尼(ほうかんだらに) 佛母準提神咒(ぶつもじゅんていしんしゅう) 振鈴念自性偈(しんれいねんじしょうげ) 十方一切刹(しーふぁんいちぇざ) 觀音禅定(かんのんぜんじょう) 一心召請(いっしんしょうしょう) 施食偈(せじきげ) 回向偈(えこうげ) 金剛薩埵百字咒(こんごうさったひゃくじしゅう) 五姓孤魂(ごしょうここん)(抜粋) 鉢回向(はちえこう) 三帰依文(さんきえもん) 拝班(ぱいぱん)
大般若転読
開枕太鼓(かいちんだいこ) 三通木魚(さんつうもくぎょ) 演浄儀(えんじょうぎ) 大悲咒(だいひしゅう) 般若波羅蜜多心経(唐韻) 香讃(こうさん) 開経偈(かいきょうげ) 大般若六百巻転読 般若波羅蜜多心経(和読み) 消災吉祥神咒(しょうさいきっしょうしんしゅう) 三真言(さんしんごん) 結讃(けっさん) 鉢回向(はちえこう) 拝班(ぱいぱん)
ずらーっと次第を書き並べてみましたが、なかなかの量ですね。全部で3時間のプログラムです。出演側もなかなかハードな演目でしたが、これを聞きに来てくださっている方も途中休憩があるとはいえ、なかなか堪える長丁場だったのではないでしょうか。(※今回は法要ではなく、あくまで公演です。ですので、構成は本来のものとは異なりますことを予めご了承ください)
後半に向かうにつれて、どんどん派手に、にぎやかになっていきます。これは実際にみて、聞いてみないとわからない。Youtubeにのっているものがあったので、これが少し参考になるのかもしれません。
国立劇場はでかい
さて、今回の開場は大ホールです。父の時代には小ホールでの公演が行われたことがあったようです。その規模が圧倒的に違いました・・・!
席数からみてわかるように、過去最高規模の舞台での公演です。当日の客席の様子だと超満員とまではいかなかったようですが、足を運んでくれたお檀家さんによると、チケットの残り枚数が200〜300枚という話でしたので、1300人程度は埋まっていたということになります。こういった舞台に立つことになれていないので、緊張しますね。ただ1人ではなく、僧侶20名での公演なので、少しは軽減されました。そして、舞台に灯りが灯り、客席の照明が落ちることで、その大観衆さを感じさせなかったのは幸いでした。
配役
黄檗のお経(梵唄)は、鳴り物が非常に多く用いられ、華やかに唱えられます。ですので、その鳴り物の役やさまざまな役があります。そんな中、私はそれぞれ以下のような役割を仰せつかりました。
朝課:経衆(きょうしゅう)
鳴り物等の役割はなく、こちらは読んで字の如く、お経を唱えるのが大きな役目です。
施餓鬼:鐃鉢(にょうはち)
聞き慣れない名前かもしれませんが、パット見シンバルのように見える鳴り物です。終盤の鉢回向というお経などで、香灯(ひゃんてん:≒太鼓)と合わせて音を奏でます。
大般若転読:香灯(ひゃんてん)
こちらも聞き慣れない名前だと思いますが、いわば太鼓です。太鼓と鐘子と呼ばれる鐘と一緒にメロディを奏でます。大きな音を出しますので、非常に目立ちます!
という、配役を仰せつかり、後半につれて役目が大きく、目立つといった徐々にアドレナリンがましていくような構成となっていました。そして、大般若転読の際には、香灯が洒水(しゃすい)を行います。ほぼソロパートです。大舞台を1人で歩き回りながら、場を浄めます。舞台の客席側ギリギリまでいき、正面を向く。最後の演目だったので、緊張から楽しさへと気持ちが変わってきていたところですが、正面を向いた瞬間に、バッ!っと緊張感がこみ上げてきました。これだけの方にお越しいただいていたのか、と。友人も数名来ていただいていましたが、全くどこにいるのか検討もつきませんでした(笑)
この経験を通して、また1つ成長できたのではないかと思います。10年に1度あるかないかというような公演ですが、またどこかの機会でこのような場に恵まれましたら、ぜひお越しいただければと思います。キリスト教の讃美歌は華やかな明るいイメージをみなさん持っていると思いますが、仏教のお経は総じて暗いイメージ。黄檗はそのイメージを払拭できるお経を唱えます。禅宗とはいえ、禅だけにとどまらない黄檗。なかなか黄檗のお寺は少ないですが、ぜひとも肌で感じてみてください。
お越しいただいた方の声
施餓鬼のストーリー等の解説があるともっと深く知れたと思う。
朝課がどこで息継ぎしてるかわからないぐらい連続していてすごかった。
朝課がどこで息継ぎしてるかわからないぐらい連続していてすごかった。
施餓鬼が歌みたいで心地よかった。
最後の大般若は不謹慎かもしれないが、けっこう面白く、客席でも初め意外すぎて笑いがおこってました。あんな形でお経を「読む」ことがあること自体しらないので新鮮でした。20人もの立派なお坊さんが真剣にやっている様子、あと、お経をばぁーと広げるやり方にもかなり差があり、前列で若い声のとおる細いお坊さんのやり方が美しく見惚れました。
出演してみての感想
今回非常に貴重な機会をいただいて、国立劇場という立ちたくても立てないような素晴らしい舞台に立たせていただいき、学び多き機会となりました。まず、これだけ多くの観衆の前で、お経をお唱えするということは、過去にもこれから先にもきっとないであろう大舞台であり、その経験はかけがえのないものだと思います。この「見られているんだな」という感覚は非常に重要だと思います。この一挙手一投足を見られている、という緊張感は、日常生活の中でゆるみがちな部分です。そういった意味でもいい刺激を得ることができました。そして、普段法要等では、後から感想やフィードバックをいただけることは皆無です。しかし、このような公演ですとご覧いただいた方から、さまざまな声がいただけます。この声が励みになり、改善につながります。次の公演があるのか否か、全くもって不明ではありますが、黄檗の梵唄は手前味噌ながら非常に素晴らしいものだと思っています。ぜひともこのような機会にたくさんの方に触れていただき、まずは知っていただくことができたらと思っております。お越しいただいた皆様、ご多用中誠にありがとうございました。