境内

寳林寺旧境内絵図
絵:橋本豊治 引用:峻翁令山和尚 やまた本坊廣園寺の開山さま

旧境内地を描いたこの絵は、宝林寺の開山である大拙祖能禅師に参禅を請うた峻翁令山和尚の物語を絵にしたものであり、この描写は宝林寺開山当時のころを描いたものです。本堂の奥に見える山は上毛三山の1つである赤城山です。

 現在の境内は、平成の大改修によって、山門、本堂、庫裡が生まれ変わりました。以前の本堂は大本山萬福寺同様瓦敷きであり、1901年に再建されたものですが、風雨にさらされ、老朽化が激しく、山門は屋根に穴があくほど老朽化が進んでいました。大改修により、どっしりとした瓦屋根の本堂と京仏師によって造像された仏像らが相まって、荘厳さが蘇りました。

未来境内図

宝林寺では、大本山萬福寺の仏像を模して造られた仏像群の修復や新たな施設の整備をきっかけに、境内をより「ひらかれた場」へと整えていく取り組みを進めています。御檀家様や地域の方々に限らず、遠方から訪れる方や多世代の人びとが自然と集い、心を整え、学びや交流を重ねられるような寺院でありたい。ここでは、その未来像を境内図としてご案内します。

1. 本堂

宝林寺の本堂は、黄檗宗で「大雄寶殿」と呼ばれる中心伽藍です。檀信徒の尽力により立派に整えられ、現在は仏像群が一同に安置されています。本来は釈迦三尊(釈迦如来・迦葉尊者・阿難尊者)を祀る御堂で、釈迦如来は江戸時代の名仏師・康倫によるもの。迦葉尊者は厳しい修行を貫き教団を導いた弟子、阿難尊者はお釈迦様の侍者で「多聞第一」と称されています。それぞれに信仰や歴史的背景が刻まれており、本堂は宝林寺の精神を象徴する空間となっています。

釈迦如来
釈迦如来
迦葉尊者
迦葉尊者
阿難尊者
阿難尊者

2. 天王殿 (建立構想)

寺の玄関口にあたる天王殿には、弥勒菩薩の化身とされる布袋尊と、本堂を護る韋駄天が祀られます。弥勒菩薩は朗らかな姿で参拝者を迎え、人々を救うとされる存在です。韋駄天は俊足で仏舎利を守った逸話を持ち、護法神として仏法を支えてきました。天王殿は、人々を迎える温かさと、仏法を護る厳しさをあわせもつ空間です。

弥勒菩薩
弥勒菩薩
韋駄天
韋駄天

3. 観音堂(建立構想)

観音菩薩を祀る観音堂は、人々の苦しみや悩みを救い、不安を取り除くための信仰の場です。白衣をまとった観音像は清らかさと慈悲を象徴し、安産や子育ての守護仏として篤い信仰を集めてきました。室町期の作と伝わるこの像は、やわらかな表情で訪れる人々を静かに包み込む存在です。

観音菩薩
観音菩薩

4. 伽藍堂(建立構想)

伽藍堂には、寺を主語する伽藍神・華光菩薩が祀られます。華光菩薩は火除けの守り神として信仰され、中国の道教神が仏教に取り入れられた背景を持つ仏像です。額に第三の目を備えた勇ましい姿は、異国的な黄檗様式をよく伝えており、境内全体を護る象徴的な存在となります。

華光菩薩
華光菩薩

5. 禅堂兼集会所(建立構想)

禅宗に欠かせない坐禅の場としての役割を持ち、地域の人々が集う開かれた空間として構想されるのが、禅堂・集会所です。ここには、禅を中国に伝えた初祖達磨大師と、仏法を護る緊那羅王菩薩を安置します。緊那羅王菩薩は音楽神の期限を持ちながら護法神として信仰されてきました。修行と日常が交わること場で、二尊は人々を力強く見守る存在となります。

緊那羅王菩薩
緊那羅王菩薩
達磨大師
達磨大師

6. 山門

宝林寺の山門は、旧本堂の柱を再利用して再建されました。前に立つ「不許葷酒入山門」の石碑は、黄檗宗が日本に伝えた持戒の精神を象徴しています。

鐘楼堂には、国の重要美術品に指定された梵鐘が掛けられています。この鐘は寛文10年、宝林寺にいた潮音道海禅師のために、五代書軍徳川綱吉公が開創した廣済寺に、家老・黒田信濃守が寄進したもの。この鐘に、潮音道海禅師の師・木庵性瑫禅師の名が刻まれました。地域の信仰を支えてきた名鐘は、今も宝林寺の象徴として響きを伝えています。