[潮音禅師物語]vol.22 潮法弟は真の古仏なり
潮音禅師の徳望は、日毎に盛んとなりました。江戸の大慈庵や館林広済寺だけでなく、各地に赴いて教化される日がつづきました。
やがて、深川の池田別邸にあった大慈庵はどうにも手狭になってしまい、延宝2年(1674)になりますと、村田三郎右衛門と栄三尼が、本所猿江裏町に広い土地をもとめて移転させました。その時渡辺立眼居士は方丈を、村田源助は禅堂を建立しましたので、大慈庵はすでに立派な禅道場となったのでした。
また広済寺は、金田遠江守や本田甚左衛門その他の檀護が手狭になった方丈の改築をはじめます。この慌ただしい広済寺に、独湛禅師や鐵牛禅師が相次いで尋ねてこられました。
そして潮音禅師の徹底した指導ぶりに、鐵牛禅師は、「潮法弟は真の古仏なり」(弟弟子の潮音はすばらしい指導者だ)と、言い残して帰られたのです。
出典:潮音道海禅師の生涯
発行者:潮音道海禅師三百年遠忌大法会実行委員会