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[潮音禅師物語]vol.18 木庵禅師の印可

蝋燭

本尊の釈迦三尊仏が完成すると、隠元禅師に開眼供養をお願いして、3月19日、落成した大仏殿に安置して大法要を行いました。これを祝う授戒会には6000余人もの道俗が戒を受けられました。そのころ余暇を見て「宗門滲漏集」を編纂されました。

また、武州長浜(児玉郡上里町)の荘野六左衛門と笠原弥右衛門は、太平山興国寺を興して潮音禅師を開山に迎えます。この興国寺はのちに弟子の観月に与えて開山とされます。

寛文11年(1671)5月、青木端山が造営していた江戸の紫雲山瑞聖寺が落慶し、開山に黄檗山小清規から木庵禅師が迎えられて開堂することになり、潮音禅師は西堂職に任じられました。

8月になり木庵禅師が黄檗山に帰られることになりましたので、戸塚宿までお見送りされました。そして、一緒に食事を済ませてお別れしようとした時、木庵禅師が、「昔、中国の応庵和尚が密庵和尚に、如何なるか正法眼、と質問すると、密庵和尚は、破沙盆(欠けたすり鉢)と応えたというが、お前が如何なるか正法眼と問われたらどうする。」と聞かれました。潮音禅師は灯っていた蝋燭を指差して、「蝋燭は2本とも輝いています。」と、応えました。木庵禅師がさらに、「破沙盆はどうしたのか。」と質問されると、敷物で地面を1回叩きました。これはすべて木庵禅師の意に叶いました。木庵禅師はその場で払子を渡して印可の証とされました。

出典:潮音道海禅師の生涯
発行者:潮音道海禅師三百年遠忌大法会実行委員会

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