1. HOME
  2. ブログ
  3. 【お坊さんの寺めぐり】小比叡山蓮華峰寺

【お坊さんの寺めぐり】小比叡山蓮華峰寺

  • 宗派:真言宗智山派
  • 創建:大同元年(806年)
  • 開山:弘法大師空海(諸説あり)
  • 嵯峨天皇勅願寺
  • 佐渡四国八十八札所第六番札所
  • 別名:あじさい寺

由来

この地が、京都(皇城)の鬼門にあたることから、空海によって開かれたと伝えられています。伝承によると、空海は、恵果(空海の師|中国唐代の僧)より伝法の印として伝えられた独鈷を密教弘伝の勝地を念じ、「密教有縁のところに生きて我を待つべし」と投げ上げたといいます。このうち五鈷杵は能登見附島(大和室生寺の説もあり?)、三鈷杵は高野山に、そして、独鈷杵がこの佐渡の小比叡山に飛来したとされ、三大霊地とされる。その地より湧き出た霊水を飲むと病が治ると云われてきた。

文化財の嵐

寺域1万1600平米を誇る境内には数多くの文化財があります。国重要文化財は3つ、国登録有形文化財は16つ、とこの他にも数え切れないほどの什物が保存されています。

一般的なお寺のイメージであれば、山門をくぐると階段を登り、本堂へたどり着くところですが、蓮華峰寺は階段をくだります。お堂が入り乱れており、どうお参りしていいか迷います笑

階段をくだり、仁王門へ到着。このお寺にも立派な阿形像・吽形像が安置されていました。こちらは新潟県の指定がついているようです。一本割矧造という後方で彫られているそうです。1300年ごろの造立と推定されます。おそるべし佐渡。1200年、1300年ごろのものがいとも当たり前かのように存在しています。

新潟県最古の建物

落書きの年代から推測された最古の建物が、この骨堂です。宝形造、茅葺きの小さな一間仏堂は、柱が太く、和様を基本にして、禅宗様の細部を用いた力強い建造物です。南北朝時代、備前国から参詣した僧侶たちが飛貫に年代の入った落書きを残したそう。その年代が貞和4年(1348年)であるため、建立はそれ以前とされ、新潟県内最古の建物とされています。

昭和58年に解体修理が行われた際に、地下調査を実施したところ建物中央部に埋納穴が掘られており、古銭、骨蔵器、五輪塔などが埋めたあったといいます。それらの資料からこの建物は始めから骨堂としてあったのではなく、江戸時代初期に骨堂に変わったことがわかったというが、それ以前についてはいまだ明らかとはなっていないようである。

小比叡騒動

この蓮華峰寺を舞台にして、慶安5年(1652年)に起きた立てこもり事件があったそう。その内容というのが、また「妬み」「嫉み」だというからこれまた驚き。西三川金山奉行と佐渡奉行所との間の対立騒動である。

辻藤左衛門信俊は精励勤務の甲斐あって、西三川金山役から一躍西三川金山奉行へと昇任した。すると佐渡奉行所の留守居役がそれをネタミ、ほどなくして信俊を小木番所勤務へと左遷した。義憤を感じた信俊は、左遷された事の経緯を書状にしたため、それを江戸へ向かう親しい易者に託し、江戸滞在中の佐渡奉行に渡すようにと依頼した。ところが運悪くこの易者の乗った船が難破し、書状だけが佐渡の海岸に漂着した。これを拾った漁師は当然のように佐渡奉行所宛に注進に及んだ。驚いた留守居役は、これを信俊の謀反とみて、蓮華峯寺に篭る信俊を討つために相川から500人近い討手を差し向けた。慶安5年(1652年)、蓮華峯寺の住職「快慶」も信俊に呼応して行動を共にし、奉行所のお侍相手に迎撃態勢を敷いた。しかし蓮華峯寺の堂塔伽藍に一斉に火が放たれると、藤左衛門信俊父子は切腹して果て、快慶は捕らえられ打ち首となった。これが世に言う小比叡騒動である。小比叡神社の鳥居の前に「快慶」の供養塔がある。「焼かれて熱かろう」と言うわけで、この供養塔に水をかける風習があるそうだ。

参考:「隠れた佐渡の史跡」

 

小比叡山蓮華峰寺

関連記事